ボンバー不発-。元王者三浦隆司(33=帝拳)が王者ミゲル・ベルチェルト(25=メキシコ)に0-3(111-116、108-119、107-120)で大差判定負けした。「ボンバーレフト」の異名を取る強烈な左パンチを巧みにかわされ、有効打を放てずに完敗。1回に喫したダウンを挽回できず、15年11月に米国で失った王座奪還を逃した。

 三浦は三浦を貫いて敗れた。叫び、会場をどよめかせる左の豪快な一撃を見舞い、それが当たるかどうか。うまさで判定勝ちを収めるスタイルではない。競技を始めた10代であこがれた本場でのメインカード。らしさが顔をのぞき始めた終盤は、ギリギリの1発を放ち続けた。ベルチェルトの顔面をかすめるだけで「おおー」と観客が沸く、類いまれな「ボンバーレフト」。ただ、その導火線は最後まで着火しなかった。

 「いや、今までは負けた試合はダウンを取るなり、見せ場を作るなり、という負けはありましたけど、今回は完封された」

 やり残しは? そう聞かれ、潔く言った。その実直な姿も、また三浦だった。

 初回、いきなりの劣勢だった。「本当にタイミングよくもらって」と左フックを右側頭部に受けダウン。ポイントでリードを許す展開が続く。前に詰め、重圧をかけ、左の1発を打ち込みたい。その思惑を見透かすように王者は巧みに足を使い、効果的にパンチを見舞った。試合を放送したテレビ局HBOの集計ではパンチの的中率は33%対46%。三浦の拳は深く刺さらない。「足をあんなに使うのは想定以上。うまく左を殺された」と詰められない距離感に苦しんだ。

 15年11月に同じ米国で王座陥落した。悔恨に丸3日間眠れず、郷里の秋田県に帰っても2、3時間おきにうなされた。「誰にも会いたくない」。引きこもる三浦の様子に悩んだ妻彩美さんが倒れ救急車で搬送されたのは12月。自分のせい-。パジャマ生活を終え、決意した。「次こそ最後の勝負。もう1回負けたらやめる」と妻に伝えた。12年から別居生活していた子供2人を含む家族を東京に呼び、再起にかけてきた。

 赤く腫らした顔で、今後に言及した。「まだ何も考えられない感じです」としたが、「完封されて、そこでどう気持ちを持っていくか」とも吐露した。再び心の導火線に火が付くことはあるのだろうか。【阿部健吾】

 三浦の妻彩美さんの話 やることはすべてやったと思う。相手のほうが強かった。こういうところでもう1度戦うところを見たいけど、本人に任せます。お疲れさま。

 ◆三浦隆司(みうら・たかし)1984年(昭59)5月14日、秋田県三種町生まれ。金足農高時代に国体ライト級優勝。03年に横浜光からプロデビュー。09年日本スーパーフェザー級王座獲得。11年に帝拳に移籍し、13年にWBC世界同級王座獲得。169センチの左ファイター。家族は中学の同級生彩美夫人と1男1女。