7回目の引退を表明した大仁田厚(60)が、引退試合「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!! ストリートファイト トルネードバンクハウスデスマッチ」で、鷹木信悟(ドラゴンゲート)、KAI(フリー)とタッグを組み、藤田和之(47)、藤田の代理人ケンドー・カシン(49)、NOSAWA論外のはぐれIGF軍と対戦する。

 大仁田は、現役最後の戦いの場に後楽園ホールを選んだ理由として、自身にとって節目の場所だからだと強調した。大仁田は1974年(昭49)4月14日に、全日本プロレス後楽園ホール大会の佐藤昭雄戦でデビュー。左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負ったことを受けて、付け人も務めた恩師・ジャイアント馬場さん(享年61)から引退勧告され、85年1月3日に引退式を行った。「馬場さんに引退式をしてもらったのも後楽園ホール…僕の思い出の地であり、青春を駆けめぐった聖地だから、ここがいいと思った。最初の引退の時、駐車場で体に空いた風穴を、すきま風が通る感じがした。晴れ晴れと駐車場を去りたい」と語った。

 藤田を最後の相手に選んだ理由については、馬場さんとライバルだったアントニオ猪木(74)の、最後の弟子だからだと明かした。「馬場さんに引退勧告されて引退式を行った後楽園ホールで、猪木さんの最後の後継者と戦うことに意義を感じた」。

 大仁田は、9日に東京・お台場野外特設会場で行われた「ノーロープ有刺鉄線四面電流爆破&有刺鉄線電流爆破バットマッチ」で藤田と初めて対戦。雷神矢口と保坂秀樹と組み、藤田、藤田の代理人ケンドー・カシン、NOSAWA論外が組んだ、はぐれIGF軍と激突したが、藤田とカシンの有刺鉄線電流爆破バットの挟み撃ちに遭い4分35秒、論外に体固めでフォール負けを喫した。

 当初、引退試合は台場と同カードによる再戦だった。それが、9日に1度、勝ったカシンが「我々が勝った。それと同じカード。何で大仁田対藤田のシングルマッチじゃないの?」と因縁をつけたことなどで変更となった経緯がある。