元王者山中慎介(35=帝拳)が現役引退を決めた。前日計量の大幅な体重超過で王座を剥奪された前王者ルイス・ネリ(23=メキシコ)と、因縁の再戦に臨んだが2回TKO負け。2回までに4度のダウンを奪われ、昨年8月にV13を阻まれた雪辱を果たせなかった。試合後に「これで終わりにします」と述べ、神の左と称された左拳を武器に5年9カ月にわたり世界王者であり続けたボクサー人生に終わりを告げた。なお、規定で王座は空位となった。

 決意の涙だった。「これで最後です。終わりにします」。山中は心を固めていた。どんな不条理な状況でも、後悔はない。試合後の控室で何度も目頭を押さえ、いつも通りの丁寧な対応で胸の内を言葉に変えた。06年1月にデビューして12年。「本当に全く悔いはない」と最後を告げた。

 前日から心は乱れた。計量でネリが2・3キロも超過。2回目も1・3キロオーバーで王座を剥奪された。最初の計量の数字を聞くと、「ふざけるな!」と思わず怒声が出た。感情が制御できなかった。「いらつきを抑えられなかった」と、踏みにじられた思いに普段の冷静さを欠いた。

 午後8時前、リングに上がったが、揺れた感情が影を落としたまま。加えて、ネリは減量苦が少なく、試合時には60・1キロもあった。体調面での明らかな不利。「パンチは以前より感じた」。初回にジャブで腰を落とした。スリップダウンと判断されたが、暗雲だった。直後に左の打ち下ろしでダウン。2回にはジャブで再び倒され、足はフラフラ。最後に右フックをアゴに受け、試合終了のゴングが鳴った。あおむけに倒れ、立てなかった。「僕より強かった」と潔かったが、不公平感は否めなかった。

 「一生懸命やったんですけど…」。控室では家族について聞かれると、言葉につまった。昨年8月、京都・島津アリーナで4回TKO負けした試合後、ホテルの部屋で食べた照り焼きバーガーは「全くおいしくなかった」。味覚が狂うほどの落胆。妻沙也乃さん(32)に連れ出され午前2時の鴨川を歩いた。「もう1回やるよね?」の問いにも、前向きに返せなかった。その後数日間の記憶はおぼろげで思い出せない。

 “生きて”いたのは、子供と接する時間だけだった。「負けを忘れられた」。豪祐君(5)は「パパの方が強かった」。無邪気な擁護に助けられた。大きなベッドを新調し、家族4人一緒に寝た。1月2日には初めて家族に練習を見せた。「うれしかった」。そんな日常が救いだった。強い姿を見せたい一心だった。

 「息子の期待に応えられなくて残念ですけど、目標に向かって頑張る姿を見せられたのは良かった」。圧倒的不利から逃げず、左拳を振るい続けた。その記憶は子供に生き続ける。最後に言った。「何年たってもパパの左は強かったんだよって子供たちに言いたいですね」。【阿部健吾】