力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、亡くなりました。享年88歳。日刊スポーツでは、デストロイヤーさんが現役引退した93年7月に連載を掲載しています。今回追悼をかねて復刻版として再掲載します(年齢などは当時のまま)。

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1973年(昭48)から6年にわたる日本滞在に終止符を打つことになったのは、長男カート(現プロレスラー)の大学進学がきっかけだった。カートはハワイ大を経て、サンフランシスコ大へと進んだ。生まれ故郷のニューヨーク州バファローに戻ったデストロイヤーは、地元のアームハースト高校の水泳コーチ、同小学校では体育の教師として第2の人生を送り始めた。シュラキュース大時代にアメリカンフットボールで活躍。オレンジボウルでは全米学生オールスターに選ばれ、レスリングでは全米学生ヘビー級チャンピオンにも輝いた実績。これに加え、水泳などスポーツ万能という面が買われての抜てきだった。

米国に戻ってからは、サマーアクション・シリーズなど年に1、2回、全日本プロレスに来日して元気な姿を披露するほかはプロレス活動を行わず、覆面をしないディック・ベイヤーとして地元の青少年の育成に専念した。そのかいあって昨年、同高水泳チームは地元アクロンの大会で総合優勝を果たした。

米国でプロレスから離れたのは当時50歳という年齢のほかに、WWF、WCWという2大プロレス団体が、米国のプロレス勢力を二分していたことも原因となった。小規模な独立団体もあるにはあったが、長年日本を主戦場にしてきたデストロイヤーには、出場への足掛かりもなくなっていた。また、2大団体からこぼれたレスラーたちが安いギャラで働いており、働きに見合うだけの収入を得ることが難しかったことも重なった。

83年に、アームハースト高で保健婦をしていたウイルマーさん(57)と再婚した。離婚した前夫人と、くしくも同じ名前だ。地元での足固めも済み、デストロイヤーはいつ現役を引退してもおかしくない状況にあった。だが、子供たちがプロレスへの道を意識するようになり、きっかけがつかめなくなっていったことも事実だった。

【川副宏芳】