4階級制覇王者井岡一翔(30=Reason大貴)がパパで初防衛に成功した。無敗のWBO世界スーパーフライ級1位ジェイビエール・シントロン(24=プエルトリコ)との指名試合。序盤は何発も被弾したが、終始前に出続け3-0の判定勝ち。

顔中傷だらけで8度目の大みそかを飾り、8月に生まれた長男磨永翔(まなと)君をリングで抱いた。今年こそ統一戦実現へ意欲を見せた。

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いつも冷静な井岡の表情がゆがんだ。インタビューで息子のことを言われ、言葉に詰まって涙ぐんだ。「今まで以上にプレッシャーがあった。込み上げるものがあった」。ベルトと磨永翔君を抱えると今度は満面の笑み。「この子のために勝ちたかった」とパパ初勝利をかみしめた。

顔は傷だらけだった。初回からプレスをかけて前に出た。序盤は五輪連続出場の技巧派に何度もクリーンヒットされた。「想像以上。めちゃ痛かった。選手寿命が縮まると思った」ほどだ。12センチのリーチ差、約6年ぶりのサウスポー。「少々もらっても、いくしかないと、覚悟を決めた」。

4回まで相手ペースは想定していた。残り8回をとる作戦だった。低い姿勢でフェイントを使い、サイドから打ち込む。5回からは左ボディーを軸に攻勢に転じた。「大和魂を見せようと思った」と、採点は2~4ポイント差も攻め続けたのは井岡だった。試合終了と同時に「出し切った」と両腕を突き上げた。

2カ月にわたる米ラスベガス・キャンプでは、妻子を練習にも連れていった。スパーリング中に息子へ目をやると寝ていた。この日リング上で目に入ったモニターにも、寝ている姿が映った。「試合でもかと、笑いそうになった」。パパはうれしそうに明かした。

8度目の大みそかで、19年も大トリを飾ってみせた。負けは18年の唯一海外のマカオだけで、国内では7勝(5KO)。「任務」という決戦を制し「20年を迎えられる。次につながった」。日本人初の4階級世界王者として指名試合を制しての初防衛。箔(はく)もつけて海外へ打って出たい。「一番は統一戦をやりたい」。今年は次なる目標へ、歩みは止まらない。【河合香】

○…井岡に判定負けのシントロン 最後のラウンドまで戦うことができた。それだけ。やるだけのことはやった。(判定は)全てを、敬意をもって受け入れる。

▽元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者内山高志氏の話 井岡は距離をつぶし、相手がしたいボクシングをさせなかった。ディフェンス技術と勇気が必要な戦い方だが、練習してきたことを信じ、それを貫いたことが勝利につながった。

▽元WBC世界フライ級王者内藤大助氏の話 井岡の作戦勝ち。被弾してでも前に出ないと勝てない難しい相手に、自分がやりたいことを最後までやり抜いた。

◆井岡一翔(いおか・かずと)1989年(平元)3月24日、大阪・堺市生まれ。興国高で史上3人目の高校6冠。東農大2年中退で09年プロデビュー。11年に当時日本最速7戦目でWBC世界ミニマム級王座、12年にWBAライトフライ級、15年に18戦目の当時世界最速でWBAフライ級王座獲得。17年に引退も18年に復帰。昨年再挑戦でWBOスーパーフライ級王座を獲得し、日本初の4階級制覇達成。164センチの右ボクサーファイター。家族は夫人と1男。