WBO世界フライ級王者中谷潤人(23=M・T)が左の一撃で、日本人初の初防衛戦米国デビュー勝利を飾った。屋外の円形劇場に設置されたリングを舞台に、初回に左ストレートで同級1位アンヘル・アコスタ(30=プエルトリコ)の鼻骨を折り、相手は2回以降は鼻血が止まらなかった。レフェリーストップによる4回32秒TKOで22戦全勝(17KO)とし、日本人6人目の米国での防衛を果たした。主催のトップランク社ボブ・アラム最高経営責任者(CEO、89)も絶賛。本場でのアピールにも成功し、他団体王者との統一戦を次の目標に掲げた。

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まさに必殺の一撃だった。距離をとって右ジャブでリードした初回。2分20秒すぎに中谷が初めてのワンツーで、左ストレートがものの見事にアコスタの顔面にさく裂させた。グラグラと下がった相手は鼻血が止まらない。2、3回も左フックを打ち込むと流血は増し、毎回ドクターチェックが入って4回早々のストップ勝ち。アコスタの鼻はへし折れていた。

KOしきれず、ダウンも奪えなかったが圧勝だった。「いいタイミングで鼻に入ってペースをつかめた。ダメージが見て分かり、最初のチェックで折れていると思った」。あとはいつ仕留めるか。「強引に倒しにいって、パンチをもらったのは反省」も、17個目のKO劇で決着をつけた。

昨年、コロナ禍でもあり、4回延期の末の世界初挑戦でベルトを手にした。WBO指令の今回も5月に大阪開催の予定だったが、同様の理由でで国内開催は白紙に。そこで本場の米国興行に組み込まれた。王座奪取より、王座死守は難しいと言われるV1戦。しかも米国デビューで重圧が増すところだが、中谷には「米国のリングは目標だった」と逆に発奮した。

単身米国修行したアマ時代に米国、メキシコでのリングに何度も上がった。試合前のロサンゼルスでのスパー・キャンプも恒例。前回は行けなかったが、今回は8月20日から2週間あまり。たっぷり70回スパーで調整できたのも大きかった。

リングサイドにはいつも通りに家族の姿があった。コロナ禍で初めて渡米して、ロスからは車で800キロを走って駆けつけた。中谷は「見えるところにいて、声もかけてくれた」と感謝。父澄人さんは「潤人のボクシングができた」と目を細めた。

興行を主催したアラムCEOは「とても才能があり、パワフル。また喜んで試合を組む」と絶賛した。年内にも再び米国でV2戦の可能性が出てきた。「大きな舞台でいい結果を出して1歩踏み出せた」。中谷はWBC王者フリオ・マルチネス(26=メキシコ)の名を挙げ、次なる目標を統一戦にランクアップさせた。【河合香】

 

中谷潤人(なかたに・じゅんと)

◆礼儀の空手 1998年(平10)1月2日、三重・東員町生まれ。両親が礼儀作法を学ばせるため、経営するお好み焼き店の客で師範の極真空手道場に小3から通わせる。小6で143センチの相手に、1度も勝てず。

◆目標ロペス 常連客に体重別のボクシングを勧められ、東員二中1年から桑名のKOZOジムに入門。3度世界挑戦した石井広三会長が世界を目指して右利きだがサウスポーに。リカルド・ロペス(メキシコ)にあこがれ、U15全国大会では中2、3年と連覇。

◆単身渡米 石井会長が交通事故死し、中卒で単身米国修行を決断。「高校はあとで行ける」と反対する両親を説得した。石井会長が師事したマック・クリハラ・トレーナーに3週間指導を受け、試合に勝った。

◆ルディ師匠 その後はルディ・エルナンデス・トレーナー宅にホームステイし、週6日のスパーで鍛えられた。3カ月おきに日米往来し米国を含めアマ14勝2敗。プロ入り後も米国でのスパーで強化してきた。

◆“里帰り”デビュー 新人王戦出場のため、16歳で岡部大介トレーナーが紹介したM・Tジム(神奈川)に入門する。プロ解禁の17歳になった15年4月に故郷の隣県・岐阜で1回TKO勝ちでプロデビュー。16年に東日本フライ級新人王でMVP、全日本新人王も制す。

◆階段確実 17年に日本同級ユース王座、19年に日本同級王座を獲得。東洋太平洋王座挑戦代わりに前哨戦で元世界王者メリンド(フィリピン)に6回TKO勝ち。昨年11月にWBO世界同級王座決定戦で世界初挑戦し、マグラモ(同)を8回KOで王座奪取した。

◆愛の拳士 三重の実家の店の常連客からやさしい風ぼうから、「愛の拳士」と命名される。知人のイラストをトレードマークに約200人の三重後援会がある。趣味は海釣り、卓球。171センチの左ボクサーファイター。15年には三重から引っ越してサポートする両親と弟の4人家族。

 

◆記録メモ 日本人世界王者の米国での防衛戦は11年の下田が最初だった。これまで8人が12戦したが、成功は中谷が6人目で通算9勝目となった。王座挑戦を含めた米国での世界戦は44戦目(1試合は日本人対決)。6人が王座を獲得し、勝利したのは中谷が13人目で通算15勝目。日本からのフライ級世界王者は最多20人で、初防衛成功は中谷が15人目となった。