力道山の弟子で現役最年長レスラーのグレート小鹿(80=大日本)は、アントニオ猪木さんの訃報にショックを隠しきれなかった。

「ショックですよ。力道山先生の弟子でプロレスラーとして生き残っていたのはボクと猪木さんだけだったから。2年前に会ったのが最後でした。昨日円楽さんが亡くなって、今日猪木さんのことを聞いて、ショックすぎますよ。力道山先生の弟子が1人1人欠けて、最後にボクが残るつもりはなかったんだけど。こういうことになって寂しいね」

来年2月が80歳の誕生日だった猪木さんとは同い年。プロレス界では入門が遅かったため、弟弟子の関係になる。日本プロレス時代は、猪木さんら先輩からの厳しい指導で鍛えられた。

「新人のころは、まず猪木さんの相手をして、次に大木金太郎さん、最後に上田馬之助さんと、2時間半ぐらいマットから降りられなかった。最初の猪木さんとの30分は本当につらくて、逃げ出したくなったこともある。なにくそ、負けてたまるかという思いで練習した。それが80歳までプロレスラーを続けられて土台をつくってくれたと感謝してましよ」としみじみと語った。

小鹿が入門した当時、猪木さんはすでにトップレスラーとして活躍していた。「一番ビックリしたのは、赤坂の合宿所の事務所で、猪木さんが航空チケットを電話で予約していたときのこと。『日本プロレスの猪木です』と名乗っただけで、予約が済んだ。有名になればチケットも名前で取れるんだと、自分もああなりたいと思ったね」。

小鹿は、日本プロレス崩壊後はジャイアント馬場率いる全日本プロレスに籍を置いた。「馬場さんは日本食と主に米国の洋食をミックスしたような人生観の人だったけど、猪木さんは純粋な日本食。昔の日本人の気質を持った人だった。ただ、ばか正直なところを表に出しすぎたかな」と力道山亡き後、日本のプロレス界を引っ張った2大巨頭を表した。

猪木さんが亡くなり、ただ一人の力道山の弟子となった小鹿は「自分は、まだまだリングに上がれるだけ上がって、力道山先生のプロレスを伝えていきたい。猪木さんも天国で応援してくれていると思います」と話していた。