ノアの小橋建太(44)が取締役副社長を“電撃退任”した。ノアは6日、先月29日付の定例株主総会ならびに取締役会で決定した役員人事を発表した。前GHCヘビー級王者の杉浦貴(41)が取締役選手会長に就任した。小橋に近い関係者は、小橋は就任当初から1期2年での退任を決めていたと証言。今後は一レスラーとして、リングでの完全復活を目指す。09年6月に三沢光晴社長(当時)が急逝し、ノアは新しい出発を余儀なくされた。今回、小橋という大きな精神的支柱の電撃人事により、ノアの今後の運営が注目される。

 09年に三沢光晴さん(享年46)がリング上で亡くなった後、小橋は田上明代表取締役社長(50)の下、丸藤正道(32)とともに取締役副社長に就任し、団体を支えてきた。

 株主である三沢夫人の意を受けた仲田龍GM(49)が「三沢さんは、丸藤を後継者に考えていた」と故人の遺志を尊重し、田上社長をトップに、丸藤、小橋による最強布陣が敷かれた。それからわずか2年。関係者によると、小橋は就任時から1期2年で身を引く決意を固めていたという。その背景には、ツアー参戦もままならない故障続きのコンディション問題が大きく横たわっている。

 右肘部管(ちゅうぶかん)症候群で09年12月から欠場し、今年7月23日の大阪大会で実に577日ぶり復帰。しかし、復帰は限定的なもので安定してツアー参戦する体力回復は今もって進んでいない。

 小橋という全国区の知名度を持ちながら、それが集客に結びつけられないもどかしさがある。小橋自身が退任を決めたとすれば、欠場がちな点で、団体への貢献度に納得ができなかった小橋の胸の内は推測できる。一方、小橋が退任を望んだとしても、副社長として続投を求めなかった新体制側の思惑も透けて見える。故三沢氏の遺志を継ぎ、いずれは丸藤中心の指導体制確立のため、現場を引っ張る杉浦を取締役に抜てきした。小橋はそうした世代交代の動きを知り、スムーズな移行を考え退任を決断した可能性もある。

 8月27日に東京・日本武道館での東日本大震災復興チャリティー「ALL

 TOGETHER」では、武藤敬司(48=全日本)とのタッグで登場。2人そろってのムーンサルトを成功させ、全82人中で、一番の声援を浴びた。「今日は失敗してもいいと思った。被災地に夢の懸け橋がかけられてよかった」。

 ノアの道場で、マットを敷き、ムーンサルトの練習を繰り返した。マットに頭から突っ込みながらも続けた。「嫌なイメージを持ったままにしたくなかった」。両膝を痛めてなお、何としてでもリングでファイトをファンに、被災地に届けたいとする、小橋らしいいちずさがあった。

 小橋本人は、重責を外れて、1人のレスラーとして意欲満々だという。腎臓がんの手術から5年以上経過し、克服への道が開けた。完治のめどとされる、術後5年の再発なしをクリア。先月の後楽園大会でも「内臓は、もう大丈夫。これからもっと上がっていく」と笑顔を見せていた。レスラー小橋の活躍を期待するしかない。【小谷野俊哉】

 ◆09年三沢さん急逝後のノア

 09年6月、ノアの象徴であり、カリスマリーダーだった三沢光晴さんが急逝。それに伴う新体制は、三沢夫人の真由美さんの希望に沿った。小橋は田上新社長を支える形でスタート。その際、当時副社長の百田光雄は小橋の社長就任を推薦したが、同社の臨時株主総会、取締役会で承認を得られずノアを退団。新生ノアは、発足時から一枚岩ではなかった。三沢さん亡きあと、小橋は、そんなノアの支柱としてリングで存在感を示してきた。だが、度重なる負傷もあり、集客に結び付けられなかった。