今月21日に現役引退と年寄襲名が発表された、元関脇勢の春日山親方(34=伊勢ノ海、本名・東口翔太、大阪府交野市出身)の引退会見が25日、師匠の伊勢ノ海親方(元前頭北勝鬨)同席の元、都内でオンライン形式で行われた。

土俵に別れを告げた現在の心境を「やれるだけのことは、やれました。納得してスッキリした思いです」と、吹っ切れた表情で話した。約16年間の土俵人生全般についても「やり切りました。よくここまで、あきらめず、腐らず貫いてやってこれたと思いました。本当に全うできた16年でした」と一抹の悔いもないようだった。

05年春場所で初土俵を踏んで以来、休むことなく土俵を務めてきた。だが、東十両13枚目で臨んだ今年1月の初場所は、14日目に痛めた左手親指の骨折で千秋楽を休場。入門から続いていた連続出場が1090回(当時現役3位)で止まった。「自分の中で休む時はやめるとき、というぐらいの気持ちで毎日、取り組んできた」。それでも再起を目指し、2度の手術とリハビリを続けてきたが、土俵復帰はかなわなかった。「まだ(左手親指は)動かず、最後まで出たくて悩んだけど、出られる状態ではなかった。時間をかけて悩んで出た(引退という)答えなので」と割り切れた。

思い出に残る出来事としては、先代と現師匠が交代した時に新十両に上がれたこと。さらに思い出の一番に挙げたのは、17年春場所4日目、白鵬から金星を奪った相撲だ。「地元(大阪)だし、すごく盛り上がって、あの歓声は忘れられません。際どかったけど前に出て行けた、いい相撲でした。地元(の春場所)は、特別な場所」と感慨深げに話し、大阪のファンにも「本当に、良いときも悪いときも変わらず、たくさんの応援をいただきました」と感謝の言葉を語った。同席した伊勢ノ海親方も「素質は元々、十分にあった。十両に上がってからは一気に、勢いのごとくアッという間に三役にも上がり、師匠としてもホッとしています」と労をねぎらい「立ち合いで当たって休まず攻める相撲を(後進に)指導してもらいたい」と期待を込めた。

11年九州場所で新十両優勝。曙以来、22年ぶりの漢字1文字しこ名の力士として、2場所後の12年春場所で新入幕を果たすと、長身(194センチ)を生かした右四つを武器に、金星5個獲得、敢闘賞4度受賞と活躍した。14年九州場所で新三役の小結に昇進し、16年夏場所では最高位の関脇に就いた。三役在位3場所、幕内は44場所務めた。16年九州場所3日目には、幕内で輝と対戦。優勝制度が制定された1909年夏場所以降では初めてとなる「漢字1文字のしこ名を持つ関取同士の対戦」として話題も呼んだ。

巡業や花相撲では相撲甚句を担当しプロ顔負けの美声を披露するなど、土俵内外でファンからの注目を集めた人気力士だった。今後は伊勢ノ海部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。「心も体も丈夫な決してあきらめない、強い力士を育てたい」と抱負を語った。通算成績は546勝545敗14休。最終番付は7月4日に初日を迎える大相撲名古屋場所(ドルフィンズアリーナ)の東三段目21枚目だった。