悪性リンパ腫というがんを患って、幾度も入院して、抗がん剤と闘っている。食欲不振に陥り、吐き気、下痢、口内炎にも襲われる。闘いだから、根性でガマンする。命を懸けた闘いゆえ、負けるわけには、いかない。
でも、長期の入院をしていると、ちょっと外出したくなることもある。たいていは医師から許可が下りるのだが、「今回はダメです」。どうしても後楽園ホールの新日本プロレスを見に行きたかったのに、チケットはパー。
京都の立命館宇治高のレスラーだった中西学選手を専大にスカウトしたのは私である。2月22日、中西が引退するという。他の教え子から連絡があり、連れて行ってもらうプランだったが徒労に帰す。新型コロナウイルスに、教え子の引退試合の記念日をつぶされた。
中西は、高校で全国3位、それほどの有望レスラーではなかった。どの大学も欲しいほどの存在ではなく、私は専大重量級の稽古台でいいと思って声を掛けた。入学後、膝の故障でマットにも上がれず、中西の仕事はタイムキーパー、笛吹きレスラーだった。
鈴木啓三監督は、「もうちょっと、ましな選手をスカウトしてくれ」と私に苦言を呈した。ケガもよくなり練習を開始した中西、投げられてばかりで「空飛ぶレスラー」とか「タックルマシン」と呼称されるありさま。弱い中西に頭をかかえる日々だった。
ところが、中西は、突然、大変身する。あの弱かった中西が、負けなくなったばかりか、絶対的な日本チャンピオンだった本田多聞選手をオモチャにするくらいの勝利をあげた。私たちは、目をパチクリ、中西の強さに驚くしかなかった。で、五輪出場を果たす。
和歌山県庁に入ったが、専大の先輩である長州力と馳浩に口説かれてプロ入りする。私は県庁におわび行脚、でも中西の活躍がうれしかった。あの天然ボケは、学生時代からのもの。
中西から学んだことは、「夢をあきらめるな」「練習はウソをつかない」ということだ。

