【機関車・野球・三味線の粋人~平岡凞(ひろし)】

平岡凞は、1856年(安政3)、東京で生まれました。71年(明4)に15歳で機械技術を学ぶために渡米。5年後に帰国すると、鉄道局新橋工場の技師として勤務しました。

米国滞在中に野球に魅せられた平岡は、日本に野球道具の一式を持ち帰ると、職場の同僚に野球を教えました。78年(明11)には日本初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を設立。日本で最初にカーブを投げた人と言われています。また、この年には日本初の野球場を造り、「保健場」と名付けました。場所は、当時の新橋か品川の停車場の敷地内にあったという説があります。

その後、鉄道局を退職した平岡は90年(明23)に東京で機関車を製造する平岡工場を創立。余生は小唄をたしなみ、三味線の東明流の創始者という粋人でもありました。1959年(昭34)、第1回野球殿堂入りした平岡。2010年(平22)からは、全日本クラブ野球選手権大会で優勝したチームに「平岡杯」が授与されるようになりました。

[PR]