若松孝二監督(享年76)は激動の60年代に「ピンク映画の黒沢明」と呼ばれた。不慮の事故死までの半世紀を文字通りぎらぎらと駆け抜けた人だった。

「止められるか、俺たちを」(13日公開)は、個性派が集った70年前後の「若松プロ」を、女性助監督の目を通して描いている。メガホンは「彼女がその名を知らない鳥たち」「孤狼の血」と秀作を連発する白石和弥監督(43)。若松監督の晩年に助監督を務め、この作品を自ら企画した。混沌(こんとん)の中に不安ときらめきが同居する当時の若松プロは魅力的だ。白石監督に聞いた。

-ロケハンなしのゲリラ的撮影もあったようです。敢えての「若松流」なのでしょうか

白石 準備した方がいいに決まっているのですが、予算も時間もない。僕自身、「孤狼-」の仕上げが終わってすぐにこっちの現場でした。でも、若松さんは100本以上撮っていて、そんなの全然平気だったわけです。そういう意味では若松組っぽくなって、どういう風に撮ってたっけか、なんて考えながら、この映画の謎のパワーになっていったのかもしれません。

-映画は若くして亡くなった若松プロの助監督、吉積めぐみさんの目を通して描かれています

白石 僕が若松プロに入った90年代には、映画の製作ペースも10分の1くらいになっていました。でも、内装はあまり変わっていなかった。壁にはチェ・ゲバラやレバノンで死んだパレスチナ戦士の岡本公三の写真がはってありました。その中におかっぱ頭の若い女性の写真があって、それがめぐみさんだったんです。同じ助監督として当時の彼女の目線に僕の思いを重ねたわけです。

-門脇麦さんが伝説の女性をさもありなんという雰囲気で演じています

白石 こういうと麦ちゃんに怒られますが、今の日本で流行っている顔ではない(笑い)。アンニュイな感じがぴったりだったんですね。この前「サニー 32」にちょっとだけ出てもらったときは、もう芝居が強すぎて全部もってかれちゃいましたけど(笑い)。今回は「私は今何者でもない。何になりたいんだろう」っていうめぐみさんの当時の心境になって、いい感じに輪郭をぼやかしてくれていると思います。

-若松監督にはどんな思い出がありますか

白石 作品が少なかった分だけ、濃密な時間を過ごすことができました。ふだんはワイドショー見ながら、世の出来事に文句言っているんです。何を見ても人とちょっと感覚が違っていて、へえ、そっちなんだと思うことが多かった。いろんな視座をもらいました。

-若松監督役の井浦新さんは若松作品の常連でもありました

白石 晩年の若松さんをよく知る人ですから、雰囲気を取り入れながら、想像でそれを若くしている。ちょっととぼけてしゃべっている感じは、本当に若松さんをほうふつとさせます。

-当時と今で映画界の一番違うところは

白石 若松さんは衝動で映画を撮る人でした。三島由紀夫が死んだ、となったらその4日後にクランクインする。今は衝動では撮らない。原作コミックがどれだけ売れているからとか、売れてるイケメン俳優がこの人だからとか。そういうことでしか映画を撮れなくなっていますよね。

何から何まで違いますね。

-政治色が無くなった

白石 みんな敬遠しますね。でも、それって日本だけだと思います。マーベル映画でさえ、今のアメリカの罪や闇を暗示していたりする。若松さんがよく言っていたのは王室に雇われた宮廷画家は、後々誰かが見たら必ず分かるように反権力のメッセージを入れていたという逸話。そういう心意気が必要だな、創作活動ってそういうものだなって思います。今の日本映画にはそんなものが1ミリもない。そうなってはいけないと思いながら、大きい仕事がいただけるようになって、僕もそっちへ流されている。もともと若松さんのもとでド・インディーズで育ったので、今後のためにも、今これを撮っておきたかったんだと思います。

-若松さんのような型破りの監督はいなくなりましたね

白石 それはかつて銀幕のスターといわれた俳優の方もそうで、みんなを引き連れて銀座をはしごするような人はもういない。いたとしたら炎上しちゃったりする。やっぱり時代ですよ。若松さんが今生きていたら、とっても生きづらいだろうし、現実に晩年はそうだったかもしれない。でも、最後まで自分のお金で映画を作っていたから、若松さんなりの思いを貫くことができた。僕にとっては若松さんの死がひとつの時代の区切りなんです。これからどういう映画作りをしていったらいいんだろうって考えさせられましたね。

-突然の事故死でした

白石 「凶悪」を撮影する直前で、その打ち合わせのときでした。ニュースで見て、最初は命に別条無いと聞いて、何やってんだ、あの人って思いましたね。そのときは。電話したら、けっこうやばいということで、打ち合わせを中断して病院に行きました。で、そのまま死んじゃって…。「凶悪」は勝手に弔い合戦の思いで撮ったんです。つらかったですね。よりによって老人を殺す話だから。

-映画からは「助監督」という職業へのこだわりが垣間見えます

白石 今でこそ監督になっちゃいましたけど、僕にとって助監督をやっていた時代が青春だから。助監督は監督がやりたいことを具現化するために段取りする仕事。たいへんなことはもちろんありますけど、楽しいことの方が多い。この何十年、みんなが「こんなにつらかった」っていう話しかしてこなかったから、つらい仕事ってイメージができあがりましたけど、実は楽しいんです。落ち込むことはもちろんあるけど、それはどの仕事でも同じだし、尊敬する監督のもとで、好きな映画の仕事ができるんだから、こんな楽しいことはない。(劇中の)めぐみさんを通して人生の中でちゃんと輝いている時期なんだってことを出したかったんです。

-監督になって8年。今年は監督作品が3本目です

白石 ありがたい話です。急にこんなに撮りだしたら飽きられるって嫁が心配しています(笑い)。20代は0本だし、30代は2本。今は20代、30代を取り戻すつもりで撮っている感じです。若松さんに当てはめるとプロデュース作品を入れて年10本は撮っていた年代なので、あのバイタリティーに比べればまだまだです。集中すればどこまで本数いけるのか、1回やれるだけやってみようっていうのが本音です。やはり体力もあってバランスがいいのは40代だと思いますから。黒沢(明監督)も傑作を残していますし。今度は時代劇が撮りたいです。題材を探しているところです。

撮影を通じ、再び「若松的イズム」が目を覚ましたのだろうか。働き盛りの監督がいちだんとエネルギッシュに見えた。【相原斎】

「止まられるか、俺たちを」の1場面 (C)2018若松プロダクション
「止まられるか、俺たちを」の1場面 (C)2018若松プロダクション