東京・歌舞伎座で幸四郎あらため二代目松本白鸚、染五郎あらため十代目松本幸四郎、松本金太郎あらため八代目市川染五郎の高麗屋三代襲名披露興行が行われています。夜の部で新幸四郎が「勧進帳」の弁慶に挑んでいるのが話題ですが、それに劣らず観客から大きな拍手が起こるのが「口上」です。

 3人を真ん中に日本俳優協会会長の坂田藤十郎をはじめ、新白鸚の弟の中村吉右衛門、中村梅玉から片岡愛之助、中村勘九郎・七之助兄弟まで22人もの歌舞伎俳優が横一列に並ぶ姿は壮観です。口上は襲名する当人のあいさつはもちろん、彼らの素顔を知る仲間たちによる「暴露」も楽しみの一つです。

 中でも、市川左団次の口上でのあいさつは群を抜いた面白さです。例えば、98年、歌舞伎座での片岡仁左衛門襲名披露興行の時、左団次は「左団次がしらふのスケベなら、酔っ払いのスケベは(尾上)菊五郎。底抜けの夜の帝王は仁左衛門と呼ばれるぐらいになってください」と話し、仁左衛門も苦笑いでした。01年の歌舞伎座での坂東三津五郎襲名披露興行でも、左団次は「(三津五郎は)以前は『金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい』でしたが、いまは『逃げた女房にゃ未練はないが』のようで」と、1年前にタレント近藤サトと離婚した三津五郎を冷やかしていました。

 さらに16年の歌舞伎座での中村芝翫襲名披露興行でも、左団次が「テレビに芝翫さんが映っていて、色恋の話だった。うらやましくてうらやましくて」と、芝翫の不倫騒動を持ち出して笑わせました。

 以前、左団次に口上でなぜ、面白い話をするのかを聞いたところ、「口上は、お礼みたいな口上になってしまう。聞いていてあまり面白くないし、見ている人も面白くないでしょ。だから面白い口上にしている」と答えていました。左団次流のサービス精神の表れなのです。

 そこで、今回の口上も期待したのですが、左団次は「新白鸚さんとは暁星(学園)の同窓で、白鸚さんは小学校の時に級長をされていました。中学の時には授業が終わると、ばあやさんが迎えに来て、踊りや長唄の稽古に行っていました。私は高校の時、踊りや長唄の稽古に行かず、キャバレーに行ってました」という自虐ネタで笑いを誘っていましたが、切れ味は今ひとつでした。さすがの左団次も、新白鸚に忖度(そんたく)して、遠慮したのでしょか。【林尚之】