静岡あさひテレビ「とびっきり!しずおか」のメインキャスター大沼啓延さんが9日、肺炎のため亡くなった。68歳だった。静岡市出身で、04年10月から同番組に出演。やさしい低音の美声と、パステルカラーもさりげなく着こなすダンディズムで、同時間帯の静岡の視聴率は常にトップ。「静岡の夕方の顔」だった。

 さかのぼれば、スポーツキャスターの先駆けだった。82年から9年間、TBSの情報番組「朝のホットライン」でスポーツを担当した。自らグラウンドや球場に足を運び取材して、番組で伝えた。今でこそアナウンサーや出演者が現場取材をするのは普通だが、当時は画期的だった。プロ野球のナイターも取材して、終了後に局に戻り、打ち合わせして深夜1時に帰宅。朝4時に起床して、番組に出演した。1度寝坊してしまい、それからは目覚まし時計を15個セットして眠ったという。

 10年ほど前、私が静岡支局時代にインタビューした時には「最近になって反動で体にガタがきたけど、当時は楽しかった。自分で取材してのコメントだから臨場感があって視聴者に伝わる気がしました」と話していた。そんな現場主義は、後にワイドショーや情報番組のキャスターに転じてからも続き、静岡では県民に親しまれる理由の一つだった。

 スポーツキャスター転身のきっかけになったのは番組製作会社のTBS映画社入社後の78年からスタッフに加わった「がんばれライオンズ」だった。誕生したばかりの西武を連日紹介する番組で、ある日、「広岡君と田淵君」というコーナーの取材中、球場にリポーターが来られなくなったため、急きょ大沼さんが担当した。番組プロデューサーから「お前、顔出しでやってみろ」と指示されたのが、次の春からスタートした「朝の-」だった。

 歌が好きで、体調を崩したのも4枚目のCDのレコーディングに向かう途中だった。自分の曲があれば、県内の施設を回り、お年寄りとふれあう機会が持てるからだと話していた。静岡出身だが自宅は東京で、14年間、番組出演の平日は静岡で暮らし、週末に東京へ帰っていた。忙しい日々について「朝の番組にくらべれば人間的ですよ」と笑っていた。いつもとびっきりの笑顔だった。

 ご冥福をお祈りします。【日刊スポーツ文化社会部長・久我悟】