7日に東京・渋谷のNHKホールで行われたKinKi Kids堂本剛(39)のソロコンサートを取材した。来年は40歳! 随分、大人になったな、そりゃこっちも年をとるよな、というのが素直な感想だった。

 97年に「硝子の少年」でCDデビューする前の話だ。94年のTBS系「人間・失格」や、95年日本テレビ系「金田一少年の事件簿」など連続ドラマに出演した時に、折に触れて取材したのだが、忘れられないインタビューがある。

 記者は95年の11月に「笑ってポン」という、連日のお笑い連載を本紙の芸能面でやった。第1回がカルト芸人の大川興業の江頭2:50、2回が兄弟子・団春と「立川ボーイズ」を組んでいた若き日の立川志らく、第3回がくりぃむしちゅーになる前の回の海砂利水魚と、われながら素晴らしいラインアップが並んでいる(笑い)。

 ところが、第4回に突如として、KinKi Kidsの堂本剛、当時16歳が登場している。

 当時の原稿を再掲してみる。

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 5、6年前、アイドル界にバラドルブームがあった。正統派アイドルとしては芽の出なかった女性アイドルたちが、バラドルとして茶の間の人気者になった。笑顔の陰につらい思いがあった。そして今、男性アイドルの老舗(しにせ)「ジャニーズ事務所」が笑いの取れる正統派アイドルを送り出した。関西出身の二人組アイドル「KinKiKids」の堂本剛(16)だ。クールなムードを漂わせる相棒の堂本光一(16)に比べ、剛は周りをほんわかとさせるキャラクターを持つ。奈良生まれ、関西弁でボケを連発する。

 剛は平均で23・5%と今年放送された連続ドラマで最高視聴率を記録した日本テレビ「金田一少年の事件簿」の主演俳優でもある。役者デビューは昨年、TBSテレビの連続ドラマ「人間・失格」。いじめを取りあげた野島伸司脚本の問題作で、剛はいじめに遭い自殺してしまう少年を演じた。「ドラマは別の人間になれるから楽しい。でも普段は自分の地を出してボケて笑いを取りたい」と、あっけらかんとした笑顔を見せる。

 ジャニーズから始まり、フォーリーブス、たのきんトリオ、シブがき隊、男闘呼組、少年隊、光GENJIと正統派男性アイドルを輩出してきたジャニーズ事務所も、時代の流れとともにアイドルのかたちを変化させてきた。少年隊にはアクロバチックなダンス、光GENJIにはローラースケートを、という具合だ。SMAPでバラエティーへ大々的に進出したジャニーズの戦略が、KinKiKidsにプラスした付加価値が「お笑い」だ。

 剛のジャニーズ入りは、小5の時に姉が内緒で送った履歴書がきっかけ。光GENJIのコンサートに魅了されて週に1回、東京までレッスンに通い続けた。同じ関西出身の光一とコンビを組み、「関西ぼうや」と、お笑いの名前でデビューする予定もあったが、KinKiKidsの名前でSMAPのバックで踊っていた。その時から剛は「関西出身やし、言葉をかえる必要はあらへんと思ってた。僕の普通のしゃべりは関西弁だから」と決めていた。

 剛がお笑いへの思いを一層強くしたのが、昨年の大みそか。武道館を超満員にした初コンサートの時だ。「踊りや歌に気が行っちゃって、しゃべるところを失敗しちゃったんです。そこから、僕の普段のしゃべりで見に来る人を笑わせたいと強く思うようになりました。これからもバラエティーやトーク番組で、ボケを入れて、しゃべりで笑いを取りたいですね」。時代を象徴する“笑いの取れる美少年”。それが、堂本剛だ。

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 取材は東京・麹町の日本テレビか、川崎・生田スタジオで行われたのだが、印象に残っているのは、すごく忙しい合間を縫って楽屋で取材したこと。堀越高校1年在籍中の剛が衣装に着替えるためにパンツ姿になりながら取材に応え、それを光一がニコニコ笑いながら見ていたのが懐かしい。

 なんで、あんな取材が許されたのだろう。多分、「1年で350日出社する」といううわさがあった、日本テレビのスーパ番宣ウーマンのKさんが協力してくれたのだろう。

 本来であれば「俺は昔っから、剛のお笑い芸人としての才能に気づいていた」と自慢するんだが、そうはいかない。始まったばかりの連載は、堂本剛を最後に、たった4回で終わってしまった。

 連載の題名が、83年にわずか3カ月で打ちきりになった、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)やビートたけしが出演していたTBS系のバラエティー番組から拝借したのがよくなかったのかもしれない(笑い)。ほぼストックなしで、連日の連載を始めたことに無理があった。準備不足で物事を始めるなという教訓を得た。それが、今に生きているかは分からないが…。