女剣劇のスターとして活躍した女優の浅香光代(あさか・みつよさん、本名北岡昭子=きたおか・しょうこ)が13日午前1時47分、都内の病院で膵臓(すいぞう)がんのため亡くなったことが14日、分かった。92歳だった。今年10月にがんと判明し、余命3カ月と宣告されていた。テレビのバラエティー番組にご意見番として出演し、故野村沙知代さんとの「ミッチー・サッチー騒動」が話題にもなった。葬儀は近親者のみで行う。

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大往生だった。次男の北岡昭次さん(66)によると、軽い認知の症状が出たため、10月初めに介護施設に入所したところ、体調を崩し、転院先の病院で膵臓がんと判明した。ステージ4で、余命3カ月と宣告された。高齢のため手術はせず、余命宣告も本人には伝えなかった。緩和ケアで痛みもあまりなかったが、10日前に容体が急変。13日に2人の息子と親族の3人にみとられ息を引き取った。30年近く事実婚状態にあるコメディアン世志凡太(86)は間に合わなかった。

浅香さんは9歳で子役として舞台に立った後、戦時中に14歳で「浅香光代一座」を旗揚げした。戦後は、立ち回りで太ももをちらりと見せる「チラリズム」の演出で人気を呼び、浅草を中心とした女剣劇ブームの立役者になった。「てんぷくトリオ」の三波伸介さん、戸塚睦夫さんも在籍したことがあった。剣劇ブームが終わると、女優としてドラマや映画、舞台で女優として活動した。

江戸っ子ならではのべらんめえ口調で知られ、バラエティー番組にもご意見番として登場、「ミッチー」の愛称で親しまれた。99年には野村克也監督夫人の沙知代さんと、舞台共演時の確執から言動をめぐって批判合戦を繰り広げる「ミッチー・サッチー騒動」を起こし、ワイドショーでも盛んに取り上げられた。14年には女性誌に「20代で出産した隠し子がいる」と公表、その父親についても「妻子ある政治家で、首相も務めた人物(故人)。子供にも名前は明かしていない」と衝撃の告白をした。

18年には90歳の卒寿を祝う会を行い、萩本欽一、山東昭子さんらが駆け付けた。日本時代劇研究所の名誉顧問を長く務め、昨年10月の公演の稽古では自ら刀を持って外国人を含めた若い塾生に立ち回りを指導。10月初めに、今月22日放送のNHK-BS番組のインタビューに出演したのが最後の仕事になった。昭和、平成、令和と80年以上も現役を貫いた“女傑”がまた天国に旅立った。【林尚之】

◆浅香光代(あさか・みつよ、本名北岡昭子=きたおか・しょうこ)1928年(昭3)2月20日、東京都生まれ。女剣劇のスターとして活躍した後、女優としてドラマ「加奈子」「七色とんがらし」、映画「サチコの幸」「晴れ、ときどき殺人」などに出演。演劇舞踊浅香流の家元も務めた。10年にはプロレスラー高山善広との対戦が話題に。著書に「斬って殺して五十年」、09年に旭日双光章を受章。