昨年のM-1王者マヂカルラブリーの“生みの親”が、お笑いコンビ、モダンタイムス。青森・弘前市で小学3年の時に出会った、ツッコミのとしみつ(42)とボケの川崎誠(42)だ。07年に相方を探していた村上(36)に野田クリスタル(34)を紹介した。

“天才”の異名を持つ野田が「天才、俺の師匠」と胸を張る“地下芸人”にスポットを当ててみた。

YouTube「モダンタイムス公式チャンネル」にアップされたネタの数々。漫才の枠をはみ出した強烈でシュールなネタがクセになる。死刑、じじい、ばばあ、ホームレス、豚…コンプライアンスをギリギリ外れた笑いがいっぱいだ。

としみつは「器用じゃないんで、思いついたネタを量産してアップしている。それを見たテレビのディレクターが、テレビ向きっぽいのを指定してくる。コロナでライブがなくなったけど、逆に動画に注目してもらえるようになった」。

川崎は「月に15本くらいあったライブが2、3本になった。テレビ向き、ライブ向きのネタがあるから、動画がなかったらきつかったと思う。ありがたい時代になった」と言う。

青森の子供時代は、とんねるずに憧れた。「当時の青森はフジテレビがネットされていなかったんです。『みなさんのおかげです』が夕方の4時に3カ月分、まとめて放送される。あとはウッチャンナンチャンの『やるならやらねば』、ダウンタウンの『ごっつええ感じ』と、お笑い第3世代ですよね。特に松本人志さんの『遺書』(94年の著書)で、僕ら世代は全員がおかしくなった」。川崎は「芸人はとがってないとダメってね。もっとポップなものをやりたかったんだけど」と笑う。

高校卒業後、お笑い芸人を目指して上京。だが、4年間は普通に働いていた。としみつは「東京タワーがどこにあるかも分からない状態で上京して、津軽弁がひどくてどうにもこうにもならなかった。で、4年たってコンビを組みました」。川崎は「お金がなくて養成所に入る発想はなかった。『ボキャブラ天国』のブームが終わって、芸人があふれていて事務所に入ることすらできなかった」と振り返る。

情報誌「ぴあ」でエントリー制のお笑いライブを探して出演する日々。その当時、出会ったのが野田クリスタルだった。川崎は「ライブ会場の扉を開けたら、野田が立っていて、こっちをずっとにらんで、ガンたれていた。『なんだ、コイツ』と思いました」。

としみつは「生意気でね」と笑う。当時の地下芸人仲間に、野田以外に売れっ子になったアルコ&ピースがいる。

05年にソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)に所属する。川崎は「法大のお笑いサークルにいた村上が文化祭に呼んでくれた。そこで先輩芸人にソニーがお笑い部門を作ると聞きました。やっぱり、つながっているんだね」と振り返る。

事務所に所属して、好きなお笑いに全力投球の日々。知る人ぞ知るスタイルで、ファンもついたがブレークには遠い。いまだ、バイトの日々だ。だが、弟分のマヂカルラブリーがM-1王者になったことで“師匠”モダンタイムスにもスポットが当たり始めた。

としみつは「マヂカルが売れて、素直に思った。『拾ってもらえる』と(笑い)。いろいろなところで、俺たちの名前を出してくれるからうれしいですね」。川崎は「俺たちも、使ってらえる。頑張って、ずっと売れ続けてほしい。もっと、大きくなれるよね」と言う。

夢はある。としみつは「次のステージに行きたい。まだ、何も結果を残せていない。やっと深夜番組やネットラジオに出られるようになって来た」。川崎は、野田がR-1、M-1に続いて3冠目を狙うキングオブコントに意欲を見せる。「行きたいよね。マヂカルは多分、決勝に行くじゃないですか。なんとか戦ってみたい。行かなくちゃいけない」と決意を口にする。

としみつは「マヂカルのM-1優勝特番に呼んでもらって、アルコ&ピースと3組で昔を振り返った。帰りはタクシーに乗せて帰してもらったんだけど『この3組で、何か番組がやれたら』と思った。夢なんですけど、それを口に出して行こうと思っている。そのためには、モダンタイムスが相当、足を引っ張ってるんだけどね」。

「ウィズ・コロナ」「ポスト・コロナ」の時代。地下芸人が日の光を浴びて大化けしたって不思議じゃない。それがモダンタイムスだ。【小谷野俊哉】

◆モダンタイムス 01年に結成。

としみつ=1978年(昭53)10月29日、青森県弘前市生まれ。趣味はJポップ。173センチ、60キロ。血液型A。

川崎誠(かわさき・まこと)=1978年(昭53)5月22日、青森県弘前市生まれ。趣味はスポーツ全般。172センチ、70キロ。血液型A。

レギュラーはネットラジオGERA「モダンタイムスの家なしブサイクラジオ」(毎週月曜午後8時更新)。