10月1日付の退団を発表した宝塚歌劇団の特別顧問で専科スター、元雪組トップの轟悠(とどろき・ゆう)が18日、大阪市内で会見し、退団は昨年決めたと明かした。

「私の心の中に『退団しよう』という時がやってきたことに気づきました。心に素直に従おうと、自然に。昨年の9月末から10月頃にはっきりと(自身の心の中で)決まった」

黒いジャケットに柄のシャツ。退団を決意した経緯には、大きなきっかけもなかったといい「それが本当に正直な気持ち」。退団の鐘は「音はなりませんでしたが、自分で『あ!』と気づいた」と明かした。

トップ退任後も劇団へ残り、故春日野八千代さんの後継として専科へ移って、各組へ主役級で出演。「男役の体現者」として、後輩が背を追う存在だった。

雪組トップ時代は「皆に、組子に守られていた」と振り返り、半年悩んで、専科行きを受諾した。

退団せず専科へ移って約20年。当時の選択に「こんなに多くの人、作品と出合うことは、残っていなければなかった。行って正解だった。あらためてラッキーだったと思います。感謝しています」。今後も「宝塚を盛り上げたい気持ちは変わらない」と話した。

専科へ移ってからは「5組あっても、宝塚はひとつ」との思いを強くし、在団35年の思い出、作品には「長すぎて、あれもこれも…お答えしかねます」。役を得るたびに、真正面から役柄に向き合い、完全燃焼する轟らしく、個別の作品をあげることは控えた。

3月末で退任する小川友次理事長は「ノバ・ボサノバの踊り、凱旋門、それからレット・バトラーが忘れられない」と、男役の手本としての立ち位置へ賛辞。100周年後の宝塚をけん引し「リンカーンもあったし、男役の境地を次々に開いてくれた」と感謝した。

轟は思い出の役も「一番はない」としながらも、小川理事長の言葉に触れ、レット・バトラーをたとえに出し「4~5回させていただきましたが、多くの多くの美しいスカーレットの相手をさせていただきました」と笑わせた。

熊本から中学卒業後に受験し、合格。35年在籍した宝塚、男役には「夢の世界であり、第2の故郷。退団を決意しても、男役を追求していくことには変わりがありません」とした。

支えてくれたファンには「長い間、暑い時も寒い時も、劇場へ足を運び、応援してくれた。感謝の気持ちしかありません。残っておりますラストステージは、宝塚のために」と感謝の言葉を重ねた。

主演作となる星組公演「戯作『婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)』」は、大阪市北区のシアター・ドラマシティで7月9~15日、東京芸術劇場プレイハウスで7月21~29日に上演。8月23、24日に大阪・ホテル阪急インターナショナル、9月21、22日にパレスホテル東京でディナーショーを予定している。

ラスト・ステージにディナーショーを選んだことは、轟自身の希望だったと明かし「雪組トップとして退団するのでなければ、大階段をおりたり、サヨナラショーをすることは『ない』と、決心しておりました」と、107年の伝統を受け継ぐ宝塚での流儀を貫く覚悟だったとも口にした。

趣味の個展も開き、退団後は「何をしたいか、これから考えます」。穏やかながら、低く、重みのある声で会見を続けた轟は、サヨナラショーもせずに退くことに「静かに退団させてほしい。それが一番私らしい」と語った。