元フジテレビでアイドル女子アナの元祖、フリーアナウンサーの寺田理恵子(59)が、15日に60歳の誕生日を迎える。2代目ひょうきんアナとして、「ときめきLonely Night」でCDデビューも果たした人気の陰で、厳しく叱ってくれる先輩たちがいた。

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1984年(昭59)にフジテレビに入社。まだ、女性アナウンサーは契約社員の時代だった。翌85年の4月から看板番組「オレたちひょうきん族」の人気コーナー「ひょうきんベスト10」で島田紳助とコンビを組んで、2代目ひょうきんアナとして活躍した。

「『ひょうきん族』にはビートたけしさんと明石家さんまさんも出ていたけど、おふたりの出番は別コーナーのドラマ『タケちゃんマン』。収録も別でした。だけど『ひょうきんベストテン』の収録の水曜日には、午後10時から人気音楽番組の『夜のヒットスタジオ』の生放送があったんです。たまに、そこから“本物の歌手”の方が『ひょうきんベストテン』に出演することもありました」

世はバブル真っ盛りの黄金時代。きらびやかなスターを見るために『夜ヒット』のスタジオをのぞきに行くこともあった。

「私としてはうれしかったんですが、それを『ダメだ』と叱ってくれる先輩アナウンサーたちがいました。その当時、フジテレビは夜に『プロ野球ニュース』の生放送をやっていました。先輩の男性アナたちから、厳しく『お前はタレントじゃないんだ』と指導されました。スポーツアナウンサーの松倉悦郎さん、大川和彦さん、山中秀樹さんたちから目をさませていただきました。『寺田、勘違いするなよ』『タレントさんは、局にとってお客様なんだから、ちゃんと接しろよ』と。アナウンス室で一緒になると、厳しかったけど愛情のある言葉をいただきました」

翌85年4月には、86年からの「男女雇用機会均等法」の施行を見据えて正社員になった。若い女性タレントがバラエティーのアシスタントを務めていた時代。局アナのひょうきんアナは人気を集め、裸で抱きつかれたりという芸人のセクハラも日常茶飯事だった。

「入社した時は契約社員だから『私、2年で切られちゃうんだ』なんて思っていました。正社員にしてもらったけど、芸人さんたちとの絡みは大変でした。現場の総責任者だった横沢彪プロデューサーは『なんかされたら蹴っ飛ばしちゃえ』って言ってましたけど、そんなことはできませんよね」

86年8月には、日本クラウンレコードから「ときめきLonely Night」でCDデビューも飾った。“局アナのタレント化”の走りだった。

「当時のアナウンス部長が、昨年11月に亡くなられた山田祐嗣さん。『声は人なり』がモットーの本当にいい方でした。その山田部長に呼ばれて『理恵ちゃん、こういう話があるんだけど、やってみる? 面白そうだね』って。私も、いただいた仕事は断らない主義でしたから。だけど、歌がすごく下手なんです(笑い)」(続く)。

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◆寺田理恵子(てらだ・りえこ)1961年(昭36)7月15日、東京生まれ。聖心女子大を卒業し、84年フジテレビ入社。89年にドラマ演出家との結婚を機に退社しフリーになるも98年に離婚。00年に一般男性と再婚、引退したが、12年に死別。14年にTBSラジオ「生島ヒロシのサタデー・一直線」で仕事復帰。認定心理士資格取得。血液型A。