笑福亭仁鶴さんが17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で亡くなった。所属の吉本興業が20日に発表した。84歳だった。

仁鶴さんは、初代桂春団治のレコードで落語を聴き、はなし家を志した。一門の流れをくみ、当代4代目桂春団治(73)がこの日、取材に応じた。

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僕にはもう、優しい方。それしか印象がありません。1作だけ、「七度狐」を40年ぐらい前、稽古をつけてもらいました。仁鶴さんは米朝さんから口伝されたと思いますが、それはもう見事に丁寧に細かく(実演を)してくれました。

うちの師匠(3代目春団治)と同じで「こうやれ」とか、しぐさをどうしろとか絶対に言わない。「自分はこう習った。あとは自分のペースやから」と尊重してくれるんです。僕の知ってる落語家の中でも一番、生真面目できちょうめんやったんとちゃいますか。実はその稽古初日、自宅が改修中だったようで、廊下で稽古つけてもろたんです。そしたら翌日「えらい悪かったな」言うて、ものすごう謝ってくれましたな。

本当に優しいけど、まあ、冗談の通じない人でした。(仕事を離れて)ゴルフをしている時でも、冗談が通じない。でも、ある時、古今亭志ん朝さんと「明日ゴルフしよう」という話になって、急きょゴルフ場を開けてもらったことがあったんです。そしたらまあ、受け付けの段階から世間話までして、お姉さんにジョークまで…えらい愛想よかったのに、びっくりしました。

もう、本当に寂しいです。

【取材・村上久美子】