レジェンド漫談家松鶴家千とせ(83)が、今月9日に84歳の誕生日を迎える。生まれ故郷の福島・原町(現南相馬)から、1953年(昭28)にジャズシンガーを目指して上京、夫婦漫才の松鶴家千代若・千代菊に入門した。

歌手修業を積んでいたが、60年に漫才コンビ、西秀一・秀二でデビュー。67年に漫談千とせ流家元の3代目松鶴家千とせを襲名した。

今年で芸歴70年目を迎える千とせは、ツービートの“師匠”として知られる。

「名古屋の大須演芸場に出ていた時に、たけしときよしが2人で訪ねてきたんだ。最初は松鶴家二郎・次郎って名前だったんだけどね。NHKのコンクールで初めてテレビに出た時に、松鶴家は古いって言うから『ザ・ビート』はどうかってね。それで『ツービート』になったんだ」と振り返った。

親交のあった俳優山城新伍に頼んで、山城が司会を務めていた東京12チャンネル(現テレビ東京)の深夜の生バラエティー「独占!男の時間」にツービートを出演させたことがあった。

「入り時間になっても現れなくて、生放送ギリギリの2時間遅れで局入りした。そして真っ赤な顔で座り込んで『怖いから酒飲んできた』って。山城さんが『しょうがねぇな、2~3分でいいから出ろ』って。スタジオが酒臭くて大変だった(笑い)。でも、その後に一気にスターになった。大したもんだ」

千とせ自身も75年にシングル「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ」で160万枚の大ヒットをとばした。今月9日に84歳の誕生日を迎えるが、当時と変わらぬアフロヘアにあごひげ、サングラス姿は健在だ。「大ヒットの後はのほほんと暮らして、のんびりと歩いてきた。いろいろなものを取り入れたりしながらね」。

デビュー以来、浅草の街を見続けてきた。今は月に1度のペースで「うたとお笑い」と題した公演を浅草・木馬亭で主催している。

「浅草の街もだいぶ、変わりました。世代交代が進んでいるんだけど、古い方がいなくなって、なかなか新しいお客様が増えない。今は街が生まれ変わっている最中。どん底から上がって来ているから、浅草がまた盛況になるのを見届けるまで頑張らなきゃいけない。イェ~イ♪」

芸歴70年目もノリノリだ。

◆松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ)1938年(昭13)1月9日、満州生まれ。第2次世界大戦後、日本に引き揚げ福島県原町市(現・南相馬市)で育つ。53年にジャズシンガーを目指し上京、松鶴家千代若・千代菊に入門して漫才、漫談で活躍。67年千とせ流家元3代目・松鶴家千とせ襲名。75年に発売したシングル「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ(夕やけ小やけ)」が大ブームとなり160万枚の大ヒット。76年映画「トラック野郎・望郷一番星」。全国さつまいもの会会長。