演歌の女王・八代亜紀さんが昨年12月30日に、急速進行性間質性肺炎のため死去した。73歳だった。昨年9月から膠原(こうげん)病の治療に専念するため、活動を休止していた。突然の訃報に、ファンのみならず、歌謡界は悲しみに沈んだ。あまりにも早い訃報。残念でならない。

「なみだ恋」「愛ひとすじ」「愛の執念」「ともしび」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」「舟唄」など、数々のヒット曲を歌った。ハスキーな歌声で、女心を歌わせたら絶品だった。

八代さんは1980年(昭55)に「雨の慕情」で、第22回日本レコード大賞を獲得。名実ともに演歌の女王となった。「心が忘れたあのひとも 膝が重さを覚えてる…」と、女心を巧みに歌い上げた。

この年、五木ひろしと大賞を競い合った。「ふたりの夜明け」がヒットしていた。「おまえとふたり」「倖せさがして」との3部作の3作目で、「おまえが流した涙のぶんだけ しあわせにならなけりゃ…」と歌う名曲。「夜空」(73年)以来2度目の大賞を狙っていた。

2人以外にも、都はるみの「大阪しぐれ」、五輪真弓の「恋人よ」、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」、高田みずえの「私はピアノ」とヒット曲、名曲がずらりと並んでいた。特に「恋人よ」は高い評価を得ていた。

新人賞にも田原俊彦、松田聖子らアイドル時代の到来を予感させる歌手が並んだ。歌謡界大全盛のただ中で、ファンもマスコミも熱気を帯びていた。

そんな雰囲気の中で、八代さんサイドも、五木サイドも「大賞」に並々ならぬ意欲を示した。「五八(ごっぱち)戦争」である。それぞれの名前の1字を取った絶妙の表現だった。

八代さんは出世作「なみだ恋」から8年目。この年は80年と、自分の名前の1字で、末広がりの験のいい「八」が並ぶ。

一方の五木も、この年は昭和55年。こちらも名前の1字である「五」が並ぶ年だった。昭和55年5月5日のすべて「五」が並んだ日には、「婚約発表するのでは」といううわさも流れ、公私に注目されていた。

ともに自分にとって「ラッキー年」と確信。所属事務所やレコード会社のスタッフは総力戦で、大賞取りに動いた。

当時の日本レコード大賞の審査員は音楽記者、評論家、文化人ら59人。大賞は過半数の30票以上が必要だった。1回の投票で決まらなければ、上位2作品の決選投票となる。

1回目の投票は「雨の慕情」が28票。「ふたりの夜明け」が21票。「恋人よ」が6票。「ダンシング・オールナイト」が3票。「大阪しぐれ」が1票。

決選投票となり、「雨の慕情」が36票。「ふたりの夜明け」は23票で、「五八戦争」は八代さんに軍配が上がった。

大賞発表で名前が呼ばれると、八代さんは号泣した。エンディングの大賞曲披露で、サビの歌詞「雨々ふれふれ もっとふれ…」は、涙の洪水になった。後に「私が降らせたのは『涙雨』でした」と話した。

まさに昭和の歌謡界大全盛を生きた歌姫だった。【笹森文彦】