1992年(平4)に亡くなった歌手尾崎豊さん(享年26)が残していた2通の「遺書」が、明日10日発売の月刊文芸春秋に全文掲載されることが、分かった。尾崎さんの死については、没後2年の94年に他殺説が浮上。自殺説と真っ向から衝突し、裁判にまで発展するなど社会的に大きな関心事となった。「尾崎豊の遺書『さようなら

 私は夢見ます』」を執筆したジャーナリストの加賀孝英氏は94年当時に入手していた「遺書」と、尾崎さんと繁美夫人との間のやり取りを、没後20年を前に明かした。

 ◆尾崎豊さんの死

 92年4月25日朝、東京都足立区内の住宅街で全裸で傷だらけになった尾崎さんが発見された。同日午後0時6分に死亡。死因は極度の飲酒による肺水腫とされた。しかし、2年後の94年に尾崎さんの体内から検出された覚せい剤について触れた、司法解剖の結果が記された「死体検案書」のコピーが外部に流出し、他殺説が浮上。尾崎さんの実父健一さん、実兄康さんやファンが再捜査を求め、10万人嘆願署名活動に発展した。身の危険を感じた繁美さんは長男裕哉さんと渡米した。