大相撲元関脇でタレント荒勢(あらせ、本名・荒瀬英生=ひでお)さんが11日午前5時54分、急性心不全のため、高知市内の病院で死去した。59歳だった。72年初場所初土俵で81年秋場所限りで引退。83年2月に日本相撲協会を退職し、タレントに転向した。現役時代は猛烈ながぶり寄りともみあげで人気。04年に脳梗塞(こうそく)で倒れてからは入退院を繰り返していた。通夜は12日午後6時から高知県いの町ハートホーム紬(つむぎ)で、葬儀・告別式は13日午後1時30分から同所で。喪主は母荒瀬孝子(あらせ・たかこ)さん。

 長いもみ上げで「野武士」の異名を取った荒勢さんが、ひっそりと息を引き取った。関係者によると、荒勢さんは04年に脳梗塞で都内の病院に入院。必死のリハビリで快方に向かったが、今年4月に再び脳梗塞で倒れ、故郷の高知市内の病院に入院。同時に腎臓がんも発見されたという。現役時代に体重151キロあった巨体は、やせ細り、友人の1人は「本人も高知に戻った時から覚悟していたようです」と話した。この日未明に容体が急変。同県いの町の実家から母孝子さんが駆け付けたが、最期をみとることはできなかったという。

 荒勢さんは日大相撲部を経て花籠部屋に入門し、72年初場所で初土俵を踏んだ。右四つからの激しいがぶり寄りで番付を上げ、3役を通算11場所務めた。長いもみ上げが特徴で人気力士となり、横綱輪島の土俵入りの露払いも務めていた。81年秋場所限りで引退した後は年寄間垣を襲名したが、83年2月に日本相撲協会を退職。タレントに転身した。

 明るいキャラクターと「野武士」の風ぼうを買われ、83年の映画「陽暉楼」で俳優デビュー。86年にはテレビ朝日「トゥナイト」でふんどし姿で温泉リポーターを担当した。知名度を生かして01年7月の参院選には自由連合の比例代表候補として立候補したが、2711票しか獲得できずに惨敗。以降は表舞台に姿を見せることも少なくなった。

 豪快なイメージからウイスキーのCMに出演したこともあったが、関係者は「まったくの下戸で、タバコも吸わなかった」と話した。同じ日大出身で兄弟子だった放駒親方(元大関魁傑)は「けいこ熱心で立ち合いの馬力はすごかった。最近は付き合いもなかったが、若すぎるよね」としみじみと話した。荒勢さんは99年10月に11歳下のレストラン経営者と結婚するも既に離婚していた。