新しい年、多くの人が仕事始めとなった4日の読売新聞朝刊「編集手帳」は〈去年今年時は流れず積もりゆく〉の句を紹介。続けて「日常も、社会も、時計の針が進んでいるとは実感しがたいままコロナ禍の2度目の正月を迎えた」とあった。

私の仕事始めは以前、辺野古の取材でお世話になった沖縄タイムスの阿部岳記者からの電話だった。内容は今後の仕事の日程調整だったが、話は当然、沖縄をはじめ、米軍基地から染み出たコロナの感染に向かう。

「カメラを前に玉城知事があれほど怒りをぶつけたのは初めてではないか」という阿部記者の激しい憤りも受話器から伝わってくる。

だが「アメリカの感染をそのまま日本に持ち込んだ」と言われる米軍は、日米地位協定を盾に日本国内の基地ごとの感染状況を一切出さない。それどころか、オミクロン株を判定するゲノム検査も拒否し続けている。

なのに松野官房長官兼沖縄担当大臣は「沖縄県の米軍感染対策に国としても協力していく」と、まるで人ごと。テレビには連日、へべれけになった米兵がノーマスクで夜の街をうろつく姿が映し出されていた。

岸田首相はなぜ、駐日米大使なり、米太平洋艦隊付司令官を呼びつけて米兵に基地からの外出禁止を命じろと要求できなかったのか。応じないなら基地周辺の飲食店に補償金を支払ったうえで、米兵立ち入り禁止の措置もとらせると言えないのか。

この首相、聞く耳と、聞く力は持っていても、モノ言う口と、モノ言う力は持っていないということか。

コロナ禍の下、日常も社会も進んだという実感はなく、重い荷を積んだまま、2022年の船出である。