東京・原宿のお店に集まった私たち小学校の同級生4人。だが、お気に入りだったいつもの席には花束が置かれ、内藤美智子先生の姿はなかった。

4年余り前のこのコラムに、目黒区立緑ケ丘小学校で4年間担任してくださった内藤先生のこと、そして90歳の先生と70歳を超えた教え子が日光の修学旅行以来の小旅行。富士の裾野に足を延ばした楽しい思い出を書かせていただいた。

その内藤先生が昨年11月24日亡くなられた。94歳。肺炎が急に悪化。コロナ禍で面会もできないままの旅立ちだった。冷たい雨が降りそそいだお通夜。そしてあわただしい年末年始がすぎて、あらためて先生をしのばせてもらった。

50人もの教え子の名字を見ただけで、60年近くたったいまも下の名前がスラスラと出てくる。そしてもうひとつ。軽くお化粧をして背筋をピンと伸ばし、いつ見てもすごくおしゃれ。「初対面で私の年を言い当てた人はまずいないの」。それが先生のご自慢だった。

20年も前にご主人に先立たれ、1人娘も若くして亡くなって、先生は一人ぼっち。だけど寂しさを口にされたことはついぞない。「今度はいつ集まるの? 先生の年を考えて早めにしてよ」。そう言い残して、さっそうと引き揚げていく。先生はご自分がそうやって生きていくことで、私たちに生き方を教えてくれていたような気がする。

60年を越えてなお、先生と呼ばせてもらう恩師にめぐまれたことを心底、幸せに思う。そして60年を越えてなお、先生と慕い続ける教え子がいる。教師という職業の気高さと、素晴らしさをあらためて思う。(毎週月曜日掲載)