岸田文雄首相(2019年7月21日撮影)
岸田文雄首相(2019年7月21日撮影)

岸田政権で閣僚の更迭が始まって1カ月がたつ。1カ月の間に3人の閣僚が辞める「辞任ドミノ」は、過去の政権で起きた「辞任ドミノ」に比べてもペースが早い。辞任ドミノが続き、結果的に退陣に追い込まれた第1次安倍政権でも、ひと月のうちに3人が辞めることはなかった。つまり、今岸田政権で起きていることは、「異常事態」といってもおかしくないのだ。

政権を支えるべき存在の閣僚たちが、自身の問題でその職を追われ、政権の体力を奪っていく。しかも、「辞任ドミノ」の当事者の3閣僚のうち、2人(寺田氏、葉梨康弘前法相)は岸田派の所属だ。2人とも今回が初入閣だった。ただ任命したのは岸田首相だ。

これまで「人事眼」には一定の評価を得ていたとされる岸田首相。しかし、閣僚を選んだ時の自身の判断、そして更迭のタイミングが遅れたことに代表される、辞めさせる時の判断がともに、自らの足を引っ張る結果になった。悪循環の繰り返しが、今の岸田政権が直面している現実だ。

ところで、今回の寺田氏が更迭され新しい大臣が選ばれた際には、以前の2人(山際大志郎氏、葉梨氏)とは違う点があった。山際氏の後任の後藤茂之氏、葉梨氏の後任の斎藤健氏は、ともに無派閥だ。一方で、寺田氏の後任の総務相に起用されたのは、麻生太郎副総裁が率いる麻生派の松本剛明氏(63)。旧民主党出身で、離党し、無所属を経て2017年に自民党に入党した。

通常の組閣や内閣改造の際、自民党から起用される議員の所属派閥が話題になる。最近は、特定の派閥の閣僚ポスト数が突出することはなく、主要派閥からまんべんなく起用され「派閥均衡」などといわれる。今年8月の内閣改造の時点では、安倍派と麻生派が4人ずつで最多。岸田派、茂木派がそれぞれ3人、二階派、無派閥が2人ずつという配分だった。

この配分が、10月24日から始まった「辞任ドミノ」で麻生派マイナス1(山際氏)、岸田派マイナス2(葉梨氏、寺田氏)と変化。そして山際氏、葉梨氏の後任に無派閥の2人が就任したことで、麻生派、岸田派のポスト数は減ったままだったが、松本氏の就任によって、麻生派はポスト数を4人に戻した。2人減って1人になった岸田派とは、対照的な状況だ。

麻生太郎・自民党副総裁(2019年12月23日撮影)
麻生太郎・自民党副総裁(2019年12月23日撮影)

麻生氏はかねて、岸田首相と定期的に会うなど首相を支える派閥のトップであると同時に、首相に影響力を持つ後見人的な立場でもある。政界関係者によると、寺田氏の更迭が遅れた背景の1つには、後任の人選がなかなか決まらなかったという事情があったという。そんな中で、最終的に麻生派所属の松本氏の起用に着地した。背景には、「『困った時の麻生氏頼み』という側面も、あったのではないか」(関係者)との声も聞いた。

岸田首相には、真の側近や真のブレーンと呼べるような存在が、ほとんどいないといわれている。そんな中、政権運営や「辞任ドミノ」で苦境に立たされた首相にとって、麻生氏の存在は大きさを増しているのではないだろうか。麻生氏もかつて首相を務めたが、首相在任中には自民党内で「麻生おろし」が起きたり、2009年の衆院選惨敗で旧民主党に政権を明け渡すことになり、約1年で政権を追われ、自民党が下野した経緯もある。首相にとって麻生氏は、言ってみれば「生きた教科書」だ。

衆院本会議で閣僚席に座り、岸田首相の答弁を聞く松本剛明総務相(左から3人目、22年11月21日撮影)
衆院本会議で閣僚席に座り、岸田首相の答弁を聞く松本剛明総務相(左から3人目、22年11月21日撮影)

そんな麻生氏が率いる派閥から起用した松本氏だったが、11月22日の「しんぶん赤旗」が、松本氏の資金管理団体が会場収容人数を超えるパーティー券を販売したとして、政治資金規正法違反の疑いがあると報じた。今後、松本氏は、説明責任を求められる。また、政権内には、寺田氏と同じく「政治とカネ」問題を抱えた秋葉賢也復興相が残ったままだ。秋葉氏は11月22日の記者会見で、「丁寧に説明することで説明責任を果たしていく」と語った。

一難去っても、また一難。そんな言葉を地でいくような、岸田政権。今の「異常事態」がさらに悪化すれば…。「先が読めない展開になりつつある」。与党関係者はそう話した。【中山知子】