「一寸先は闇」とは、永田町でよく用いられるワード。少し先のことでも何が起きるか分からない、読めないの意味だが、いま永田町では、岸田政権はこの「一寸先は闇」を地で行く、「リアル『一寸先は闇』政権」との評価が出ていると聞いた。良くも悪くも想定しないことが続き、「まるでジェットコースターに乗っているようだ」と話す関係者もいた。

その1つが、今月19日から21日に行われたG7広島サミット。ウクライナのゼレンスキー大統領電撃訪問だ。サミットの中身はともかく、当初はオンライン参加とされたゼレンスキー氏が広島に来たことで世界の関心が集中、議長国の日本にも関心が集まった。2人が連れ立って平和記念公園の原爆慰霊碑に献花する様子は、ロシアの核の脅威にさらされるウクライナが発したかったメッセージを体現する象徴の場となった。首相が記者会見で、質疑応答前のスピーチに多くの時間を割いたことにも、みなぎる達成感を感じた。

3月のウクライナ電撃訪問から続いていた、外交での「勝負の場」にひとつ区切りが付き、内閣支持率も上昇。官邸や政府内では、スタッフに安堵(あんど)感が流れているとも聞いた。しかし、そんな空気もつかの間、長男の岸田翔太郎秘書官(32)にまつわる文春砲が、首相を直撃する。昨年末、父子が住む首相公邸に親族が集まり「忘年会」を行った際の翔太郎氏や親族の様子が写真付きで報じられた。玄関ホールにある赤じゅうたん敷きの、歴史ある「西階段」での「閣僚写真撮影ごっこ」や、赤じゅうたんに寝そべる男性の写真などが報じられた。さすがに「あぜんとした」(ある自民党議員)思いをした関係者は多かった。

秘書官の問題は首相にとって「鬼門」だ。翔太郎氏は今年1月にも、欧米外遊同行時に大使館の車で観光や首相のおみやげ購入に回ったと週刊新潮に報じられた。岸田内閣発足から1年の昨年10月に政務秘書官に就任。忘年会写真とおみやげ問題の時期は近く、心構えがまだ足りなかったころなのかもしれないが、永田町では、翔太郎氏に「またか」、おみやげ問題に続く問題発覚でも、息子に秘書官を辞めさせない首相にも「またか」の、ダブルのがっかり感。広島で高揚したはずの空気は、東京に戻ってすっかり薄れ気味だ。

現在の首相官邸が完成する前、当時官邸として使用されていた現在の公邸を、仕事を離れた立場で見学させてもらった経験がある。歴史的な建造物でもあり、素直に感動したことを覚えている。当時はまだスマートフォンもなく、自分で気軽に写真を撮る環境もなかった。ああいう場で、スマホで簡単に写真を撮れる時代になったからこそ、きちんと管理しなければ今回のように写真が出回ってしまう環境になった。今回、写真が撮影されたことに加えて、流出したことを問題視する声が多いのも確かだ。

翔太郎氏の問題と同時に、次期衆院選をめぐる候補擁立調整の自民党と公明党の対立に端を発し、公明党が「東京の選挙での協力関係解消」を通告したことも、連立政権に影響しかねない問題だけに、これから岸田首相を悩ませる案件になる。ここ最近の動きだけでも、まさにジェットコースターのような展開だ。

思えば、昨年7月に安倍晋三元首相が凶弾に倒れた後の8月に内閣改造に踏み切って以降、このジェットコースター状態が続く。安倍氏国葬への批判のほか、閣僚の失言やスキャンダルが相次いで辞任ドミノが発生。内閣支持率は急落した。今年に入ると、翔太郎氏とともに、前首相秘書官によるLGBTなど性的少数者に対する差別発言が起き、支持率は一時、「危険水域」とされる3割を下回った調査もあった。今では考えられないが、広島サミットが、退陣の「花道」になるのではないかといわれた時期もあったほどだ。

歴代政権でも想定外の事態で政権運営が良くなったり、悪くなったりすることは起きてきた。しかし、短期間のうちに想定外のこと(よくも悪くも)が立て続けに起きる岸田政権のようなパターンは、珍しいかもしれない。長男の問題や、今後の首相の衆院解散戦略にも影響する自公選挙協力解消問題などを経て、サミットまでの空気がどう変わるのか、それとも変わらないのか。一寸先はまだ、何が起きるか分からない。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)