衆議院の解散を決める権限というものは、時の首相にとって「伝家の宝刀」といわれる。この宝刀を抜こう、抜こうとしているように見せながら、実際にはなかなか抜かない「解散寸止め芸」(野党関係者)が、板についてきたようにもみえるのが、最近の岸田文雄首相の言動だ。
解散について「今は考えていない」というフレーズを繰り返し、「じゃあ今じゃなければ、後になったら考えるのか」と、周囲を疑心暗鬼にさせる。やるともやらないとも受け止められないコメントなら「解散風」が強まるのは当然。今回は、臨時国会の召集にあたって、提出されれば審議が必要になる補正予算案を提出するかどうかを、首相が当初はっきりさせなかったこともあって、先週の永田町は、解散の有無から、いつ衆院が解散されるのかというステージに上がり、ざわつく日が続いていた。
臨時国会の召集日をいつにするかについても腹のうちを明かさず、提出となれば、ある程度の程感がみえる補正予算案の提出の有無にも触れなかったため、臨時国会召集日の「10・20冒頭解散か」と、ざわつきの盛り上がりは右肩上がりになった。結果的に岸田首相は9月29日になって、補正予算案を臨時国会に提出すると表明。「10・20解散」の臆測を自ら沈静化、火消しすることになったが、自身が説明するまではざわつく周囲の状況を見ながら、自分の権力というものをあらためて確認しているかのようにもみえた。
岸田首相は今年6月の通常国会最終盤にも、解散について「情勢をよく見極めたい」と踏み込んで大騒ぎになったことを受け、2日後に「考えていません」と打ち消したことがある。「におわせ」からの「打ち消し」という手法は、今回もほぼ同じだった。前出の野党関係者は取材に「岸田首相の『解散寸止め芸』は不誠実だ」とも批判したが、「10・20解散」は消えても「首相は何をやってくるか分からない」という疑心暗鬼は、今も消えていないとも明かした。
政界には、「首相は衆院解散と公定歩合については、うそをついてもいい」という言い伝えがあるといわれる。かつて佐藤栄作首相が、解散の可能性を聞かれた際に「頭の片隅にもない」と語りながら実際に衆議院解散に踏み切り、後日「頭の片隅にはなかったが、頭の真ん中にあった」と言ったというのは、今も語り継がれていることだという。岸田首相の最近のコメントも「先送りできない問題に一意専心に取り組む。今はそれ以外は考えていない」(20日、訪問先のニューヨークで)「経済対策をはじめとする先送りできない課題に一意専心取り組む、それ以外のことは今考えていない」(29日、報道陣の取材に)と、言質を取らせないような巧妙な構成となっている。
最近、よく出てくる「一意専心(他に心を向けず、ひとつのことだけに集中する、の意味)」という「岸田ワード」は、かつて大相撲で若ノ花(のちの3代目若乃花)が1993年7月の大関昇進時の口上で使ったことで知られる。口上は力士の強い決意を示す言葉として知られる。岸田首相の「一意専心」が額面通りなら解散はしないというふうにも受け止められるが、言葉と行動がマッチしているのか、いないのか、あいまいなのが岸田首相流でもある。これまでの手法から、首相が「政局好き」というのはつとに知られるが、「政局好きと政局巧者は違う。首相は『かき回す』のがうまいだけ」(自民党関係者)との声も聞いた。
首相の腹のうちは、誰にも分からない。解散、解散と騒いでいるのはこちら側だけで、実際は、岸田首相は当面、衆院解散するつもりはない、と見る向きもあるようだ。冷静に考えると、内閣支持率は上がっていないし、防衛費増額に向けた財源確保のための増税を打ち出すなどしていることで、SNS上では「増税メガネ」と批判され、たびたびトレンドワードになるほど。解散風をあおっても、その先の選挙に向けて風が吹くのかどうか、見通せていないようにも感じる。
風が吹いていない時は、崖から飛び降りてでも自分で風を起こす、と言ったのは小池百合子東京都知事だが、「勝負師」ともいわれる岸田首相がそうした賭けに出るほどの明確な戦略があるのかも今は、見えてこない。定番化した岸田首相の「寸止め芸」がどう展開していくか、気の抜けない日々が続く。【中山知子】