「大人の対応」。この1週間、この言葉が永田町をかけめぐった。感情的にならず見て見ぬふりをしながらやり過ごすという意味でもあるが、「大人としてふさわしい対応」という内容も含まれていると感じる。 そんな「大人の対応」をめぐり、自民党は迷走を続けている。
そもそも「大人の対応」というワードは、上川陽子外相が、自身の容姿や年齢に言及した自民党麻生太郎副総裁の発言について問われても常に論評しなかったことに向けられた言葉。上川氏は表舞台で、常に冷静沈着な言動で知られる。岸田文雄首相を支える立場でもある重鎮の麻生氏と、ことをかまえたくないという気持ちは分からなくもない。また、発言の内容が世界中に報じられる外相という立場では、個人的な思いはあっても軽々に口にすることは避けたのだろうと思う。これまで多くの失言をし、女性に関するものに関しても最近では「セクハラ罪という罪はない」(2016年)「子供を産まなかったほうが問題」(2019年)などがある麻生氏の発言。そんな発言主から自身に向けられた言葉だけに、あきらめというのか、はなから相手にしていないのかもしれない。
2日の参院代表質問では「なぜ抗議しないのか」と野党に直接問われた上川氏は「緒方貞子さんのように脇目も振らず着実に努力を重ねていく」と述べた。20年ぶりの女性の外相となり、仕事をする上で「雑音」(自民党関係者)に惑わされたくない本音も口にした。
麻生氏の発言は1月28日。それが今月2日になって岸田首相が「一般論」という観点から「性別や立場を問わず、年齢や容姿をやゆし相手を不快にさせるような発言をすることは慎むべきというのは、当然のことだ」と発言。これを受け、麻生氏が発言を撤回する絶妙の連携プレーが起きたが、麻生氏は問題が起きたらすぐに謝るという「大人の対応」ができなかった。一方、上川氏は、静観という「大人の対応」を貫くがあまり「大人の対応がすぎる」という批判を招く結果に。容姿や年齢に関する発言にいちいち反応せず、やり過ごすテクニックは理解できる面もあるが、「なぜ抗議しないのか」という声に、真摯(しんし)に応じなかったことも事実。結果的に、どこかずれた「大人の対応」になってしまった面は否めないと感じる。
「大人の対応」ができなかったのは、「裏金事件」のさなかにある自民党議員の面々も同じだ。こちらは「大人としての、ちゃんとしたまともな対応」という意味での「大人の対応」が求められたはずだったが、政治資金収支報告書への不記載があっても自発的には説明せず、特に事件の温床になった安倍派では、自分の問題はさておき幹部の責任に言及する議員がいて、びっくりした。批判の矢面に立った幹部たちも、裏金の経緯などについて世間を納得させられるような説明はほとんどない。先月19日以降、安倍派の複数の幹部の記者会見を取材したが、反省の言葉は口にしても経緯や発端などについてはうやむや。納得できない事態は今に至っている。
その安倍派は2月1日に派閥として最後の議員総会を開いたが、重苦しい雰囲気が漂った。毎週木曜日に、所属メンバーがそろって一緒に弁当を食べる場だが、「最後の昼餐」は老舗店の「すき焼き弁当」。裏金事件で解散に追い込まれた派閥の実質的なトップに当たる座長を務めてきた塩谷立氏は「ありがとうございました!」と感謝の言葉で締め、しらけムードを増幅させた。安倍晋三元首相の逝去後も新しい会長を選べず、コップの中の小さな権力闘争という中途半端な動きを続けてきた派閥を象徴するようなラストだった。
この場でも、塩谷氏に議員辞職を求める声が出たと聞いたが、国会議員という立場の大人がこれだけいて、大人らしい説明も対応も行われなかったがゆえに自民党は今、党を挙げた実態調査の真っ最中。ただ、党の調査でどこまで真相があぶり出されるのかは、不透明な状態だ。
上川氏の「大人の対応」を疑問視する声が出る中、「大人の対応」が遅れた麻生氏には批判がやまない。自民党の「大人としての対応」には、もっと厳しい目が注がれている。世間が考える思いから、ずれまくっているのは間違いない。【中山知子】