観測史上初めて震度7を2回観測し、熊本、大分両県で計276人が犠牲となった2016年4月の熊本地震は14日、最初の激震「前震」から8年となり、熊本県庁で追悼式が開かれた。遺族ら28人が参列し、昨年完成した震災の祈念碑前で黙とうした。蒲島郁夫知事は式辞で「悲しみを力に変え、一丸となって創造的復興を進めてきた。経験と教訓を発信したい」と述べた。

娘と共に参列した中村純子さん(88)は、胃潰瘍の手術直後に被災した夫を災害関連死で亡くした。同県益城町の自宅が全壊したが、夫の残した資金もあって乗り越えられた。「安心して暮らしている、ありがとうと伝えに来た」と話した。

14日午後9時26分の前震、16日午前1時25分の「本震」で震度7を記録し45人が死亡した同県益城町では、昨年3月に新庁舎が完成。西村博則町長は隣接する震災記念公園の献花台に菊を1輪手向け、報道陣に「ハード面の復興は随分できたが、心の復興が道半ばだ」と語った。

熊本地震では、大分県の3人を含む221人が災害関連死で、家屋倒壊などによる直接死の4倍超を占める。能登半島地震の死者は今月12日時点で、関連死15人を含む計245人。

蒲島知事は15日に任期満了を迎え、退任式で「住まいの再建についても誰ひとり取り残さないという思いで引き続き全力を尽くしてほしい」と訓示した。

益城町役場の周りには14日、「能登台湾がんばるばい」などの言葉が添えられた竹灯籠がともされ、住民ら約50人が前震の時刻に合わせ黙とうした。設置に携わった西真琳子さん(39)は「ようやく少しずつ生活にゆとりが出てきた」と安堵(あんど)の表情を見せた。

町営住宅広崎第3団地では、色とりどりのキャンドルに追悼の明かりをつけた。住民の荒瀬芳昭さん(74)は「地震前の生活には戻らないけど、新しい出発はできていると思う」と話した。

益城町交流情報センターでは、阪神大震災や新潟県中越地震の被災者と記憶を語り継ぐ集会も開かれた。町の語り部植田衣江さん(61)は「今後も経験を伝えたい」と力を込めた。 

熊本城(熊本市)では、仮設の建物「素屋根」で覆われ解体復旧工事が続く宇土櫓(うとやぐら)が一般公開された。熊本県上天草市の海崎司さん(73)は「修復まで時間がかかるだろう。復興もまだまだだ」とつぶやいた。(共同)