同日の豪雨は、川幅数メートルだった乙石川を10倍以上の幅の濁流に変えた。川沿いの道路も家も棚田も濁流に消え、水が引いた後には、土砂と流木、がれきが広がっていた。田中さん宅があった所には、コンクリートの基礎しかなかった。

 50年に1度といわれた5年前の豪雨災害後、自宅のある中村地区の区長として、乙石川流域の復旧事業に関わった。「これ以上の豪雨はないやろと、復旧だけやった。間違うとった。あの時、防災対策工事も乗っけて、川幅や川底を1メートルでも下げとれば、少しは…」。強く後悔している。

 日がたつにつれ、乙石川に水位計が未設置で、森林の手入れも行き届かず、防災情報を放送する戸別受信機の中継基地も断線していたことなどが報じられた。市が、杷木松末の住民に避難指示を出したのは同日午後4時40分。その時、自宅からの避難は可能だったのか。「下流の状況見て避難指示出したころには、上流はメチャクチャよ。年寄りが軽トラで避難所まで行けると思うか?」。

 行政の対策、対応に不備があった疑いがあるのでは…。徹底した検証が必要と考えている。「場合によっては裁判を起こそう思うとる。原告1人でもやらにゃいかん」。想定を超えた豪雨だとしても、どうすれば、かけがえのない命を守れるか。強い後悔を胸に、闘うつもりだ。【清水優】

 ◆朝倉市 福岡市から南東約40キロ、福岡県中南部にある。江戸時代に福岡と大分を結ぶ日田街道の宿場町として栄えた。06年3月、甘木市(あまぎし)、朝倉町、杷木町(はきまち)が合併して成立。九州最大の河川、筑後川の中流に位置し、主産業は農業。面積246・71平方キロ。6月末現在の人口は5万4412人。森田俊介市長。先月5日の豪雨で29人死亡、5人行方不明、5人負傷。住家の全壊は103棟、半壊は468棟。現在も約500人が避難している。