2020年東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの全競技会場が2日に正式決定した一方で、神奈川県藤沢市の「江の島ヨットハーバー」を中心とするセーリング会場の地元では不安が広がっている。相模湾に広がるレース海面が漁場と重なり、漁協関係者が大会中に営業できるか不透明だ。中でも遊漁船業者、いわゆる「船宿」を営む人たちの不安は大きい。4日までに地元を取材すると補償について、「漁業には出るが、遊漁船業には出ないのでは」と心配する声が多く聞かれた。

 相模湾のとある漁協は5月某日、緊急会議を開き、遊漁船業関係者20人前後が膝を突き合わせた。会合の前後に話を聞こうとすると一様に、敬遠された。五輪開催の影響を受ける恐れがある周辺8漁協やシラス漁師らが2月、大会組織委員会にレース海面をより沖合に移すことを求める要望書を提出。足並みをそろえるため「下手なことは言えない」と取材を嫌った。

 しかし匿名を条件にと伝えると、次々に本音が漏れてきた。「市、県、組織委から説明はなく、逃げてばかりだ」と遊漁船業者Aさん。セーリングは五輪本番だけでなく、今年も来年もテスト大会がある。いずれも通常営業ができるのか、補償はあるのか、回答はない。今年の大会は9月に迫っている。

 Aさんによれば五輪期間の7、8月はかき入れ時。マグロ、カツオ釣りがメインで、1日10万円前後の売り上げという。補償が漁業者には出て、遊漁船業者に出ない可能性がある点には「みんな漁業で稼ぐのが難しく、遊漁で食べてる経緯がある。そこは補償してほしい」と切に語った。同Bさんは「遊漁が差別されているようだ」とやるせない。「まず先に組織委や県なりが生活者に説明に来るのが筋では。順番が違う」。同Cさんは「車で来るお客がほとんど」と陸路の交通規制も心配していた。

 神奈川県環境農政局農政部水産課の担当者によれば、遊漁船業の実態調査をしておらず、売り上げ規模や営業海域が把握できていない。五輪中に実際、どの程度の影響が出るかを客観的に評価することが困難で補償額の算出も難しいという。所管している法律も漁業法、遊漁船業法と違う。

 遊漁船業者の中には「船が出せれば営業できる」との声もあるが同県スポーツ局セーリング課によると、テロ対策強化に向けレース5海面全体の周りを「クリーンエリア」にするため最悪、24時間航行禁止となる可能性もあるという。遊漁船業者への補償は出るのかとの問いには「分からない」と述べた。

 8漁協のある幹部は「漁業も遊漁も補償が出ないようにしたい」と五輪運営側と地元漁協の双方が納得する形を模索。ただ、国際セーリング連盟は陸側から目視でも競技が見られるよう、陸に近いレース海面を求めている。

 別の漁協幹部は「大好きな相模湾の景観が世界に中継されるのはうれしい。五輪は成功してほしい」と話す一方、「生活もかかってる。2週間、営業に影響が出るのは苦しい。でも補償の話をすると『たかりだ』と批判されたこともある。どうすれば良いのか…」。

 高水準の運営を求める国際競技連盟、日常の生活がある市民、その間で調整する組織委と自治体。五輪開幕が2年2カ月後に迫る中、補償問題は難しい局面を迎えている。【三須一紀】

 ◆遊漁船業(ゆうぎょせんぎょう)船舶により乗客を漁場に案内し、釣りその他の農林水産省令で定める方法により、魚類その他の水産動植物を採捕させる事業をいう。漁業と兼業している場合も多い。乗客が乗船料を支払い、早朝に港を出発する。釣りを楽しんだ後、午後に帰港するパターンが多い。釣り道具をレンタルできる船宿もあり、体1つで釣りのレジャーを楽しめることで人気を集めている。

 ◆東京五輪のセーリングと補償 男子5種目、女子4種目、混合1種目を7月26日~8月8日に実施予定。五輪開催自治体の会場賃借料、漁業補償等については東京都や組織委が負担することが昨年5月に決まった。外部有識者、国、都、組織委で構成する借上財産評定委員会が、補償費などの適正額を評定する。