加計学園の獣医学部新設をめぐるキーマン、柳瀬唯夫元首相秘書官が10日、衆参両院に参考人招致され、15年2月から数カ月の間に、学園側と3回面会していたと明かした。学園の優遇ぶりをにおわせたが、「加計ありき」を否定。安倍晋三首相の関与は、きっぱり否定した。面会の条件を「来る者拒まず」と述べ、「リスク管理をわきまえていない」とダメ出しされる場面も。柳瀬氏の発言を記したとされる「愛媛文書」に難癖をつけ、中村時広同県知事は怒り心頭だ。柳瀬氏の記憶は“復活”したが、疑惑解消には至らなかった。
柳瀬氏は、加計学園との面会について「官邸で3回会ったと覚えている」と述べた。判明している15年4月のほか、同2月~3月、同6月上旬で、2月~3月の面会で獣医学部の計画を知ったが、国家戦略特区の計画ではないと否定した。
加計側との面会を認めた経緯について、野党から「記憶をなくしたり思い出したりするのか」「記憶喪失はいつ治った」と皮肉られたが、柳瀬氏は「(記憶がないと話した)昨年の集中審議では、今治市と会ったかを聞かれた。(加計との面会は)聞かれていないから、言っていない」と、木で鼻をくくったような官僚答弁。野党の追及不足を揶揄(やゆ)するようだった。「加計と会った記憶は一貫してある。『記憶を調整』と新聞に書かれたが、まったくない」と主張した。
「記憶にない」としていた愛媛県などとの面会については、「随行者の中にいたかもしれない」と、巧妙に軌道修正。愛媛県職員が、柳瀬氏が「首相案件」と述べたとする文書を作成したが、「私の趣旨とは違う」「備忘録を公開したり第三者に配る場合、相手に確認するのが筋だ」と主張。「メモを取っていた方が、後で『こうだ』と言えるのはおかしい」と反論した。「今治市の個別プロジェクトを首相案件と申し上げると思わない」「私は普段から『首相』という言葉は使わない」とも、主張した。
「加計ありき」の指摘は繰り返し否定したが、国家戦略特区の関係で会ったのは「加計学園だけ」と、はからずも「加計ありき」を告白。3回の面会を「会いすぎ」と指摘されると、「来る者拒まずというか…」と釈明し、失笑を買った。「加計ありき」を否定する目的か、「総理秘書官でいると外の話を聞けず、感覚がずれる。政府外の人のアポがあれば、会うようにしていた」と述べたが、橋本龍太郎首相の秘書官だった先輩の江田憲司衆院議員は「リスク管理もわきまえていない」と酷評した。
自身と学園の接点は認めたが、首相の関与は徹底して否定。「一切報告していない。指示も受けていない」と述べたが、社会人の基本「ほう・れん・そう」を無視するような非現実的な答弁で、与党内でも疑問が出ている。面会相手に関する答弁が、午前と午後で食い違う場面も。「誠心誠意、一生懸命答えた」と述べた柳瀬氏だが、疑惑はさらに深まった。【中山知子】
◆柳瀬唯夫(やなせ・ただお)1961年(昭36)7月17日、静岡県生まれ。東大法学部卒業後、84年に通商産業省(現経産省)入省。通商交渉を担う事務次官級の経済産業審議官(現職)に上り詰めたエリート。08年に当時の麻生首相、12年には安倍首相の秘書官に選ばれ、15年まで務めた。原発推進派としても知られる。