平成の日本で1度だけ行われたオリンピック(五輪)は、冬の信州を明るく照らした。1998年(平10)、日本で2度目の冬季大会、長野五輪が開催。スキージャンプ団体の金メダル獲得など大盛り上がりを見せ、成功裏に幕を閉じた。その半面、膨れあがった借金が「負の遺産」としてクローズアップされ、肥大化したイベント開催の意義が問われた。新元号で行われる「TOKYO2020」を2年後に控え、「NAGANO1998」を巡るドラマを振り返る。【三須一紀】

長野市は今年、五輪開催20周年記念事業を実施し、感謝の意味を込め、3種類の「ストーリーは続く」というテーマの新聞広告を掲載した。【1】長野五輪のカーリングを観戦する少年時代の両角(もろずみ)友佑、公佑兄弟が20年後、平昌五輪に同競技で出場する。【2】長野パラリンピックにバイアスロンなどで出場した井口深雪(みゆき)が20年後、母となり共生社会を東京大会へつなぐ。【3】「一校一国運動」で内戦後のサラエボを訪れた岩本英美里が平和の尊さを強く感じ、20年後、教員になって平和を子どもたちに伝えている。