「団塊の世代」の名付け親で、今月8日に83歳で死去した元経済企画庁長官堺屋太一さんの葬儀・告別式が17日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、約1000人が参列した。

堺屋さんは、25年大阪・関西万博を見届けることを切望し、平成の世を予言した小説「平成三十年」の続編の構想も持っていた。心臓の病気で手術後に体調が急変。突然の死だったという。堺屋氏を師と仰いだ橋下徹前大阪市長は弔辞で「大阪万博のテープカットに立ってほしかった」と、涙した。

「先生、これはあきませんよ」。弔辞を関西弁で切り出した橋下氏は、「先生には、25年大阪万博のテープカットに立ってもらわないと困るんですよ」と、涙で声を震わせた。前回70年の大阪万博に関わった堺屋さんの話を聞き「(2度目の誘致に)みんなその気になった。夢物語のような話を松井(一郎府知事)さんは信じられないくらい頑張って、実現しちゃいましたよ」と呼びかけ、「先生にテープカットに立ってもらう一心だった」と明かした。

堺屋さんは周囲に「彼しかいない」と語り、08年府知事選出馬を直接口説いた。以降、橋下氏のブレーンでもあった。橋下氏は「歴史の転換点では、その役割を演じきる人物が必ず登場する。今の大阪ではそれが橋下さんと、お世辞にもほどがあることを言われた。情熱とパッションが人や政治を動かすと教えていただいた」。大阪都構想が住民投票で否決された際は「これくらいの苦労、また乗り越えられる。明治維新の時も敗戦後の日本もこんな苦労じゃない」と声をかけられ、「すがすがしく政治家引退宣言ができた」という。

「政治家の人生を与えていただき、自分の人生が本当に豊かになりました」。橋下氏は、ともに参列した松井氏と葬儀終了まで立ち会い、出棺の際は頭を下げ、手を合わせて見送った。