「団塊の世代」の名付け親で、今月8日に83歳で死去した元経済企画庁長官堺屋太一さんの葬儀・告別式が17日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、約1000人が参列した。堺屋さんは、25年大阪・関西万博を見届けることを切望し、平成の世を予言した小説「平成三十年」の続編の構想も持っていた。心臓の病気で手術を受けたが体調が急変。突然の死だったという。堺屋さんを師と仰いだ橋下徹前大阪市長は弔辞で「万博のテープカットに立ってほしかった」と、涙した。

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堺屋さんは生前、新元号後の日本を予測した小説の執筆に意欲をみせていた。

遺族によると、堺屋さんは今年1月上旬に入院。その際「『平成三十年』の次の作品として、『新元号三十年』を書きたい」と話していたという。「頭の中に構想はある。いつまでも入院している場合じゃない。今こそファイトを示す時だ」と、力強く語っていた。「大きな夢を描き、実現のためにはあらゆる困難をむしろ楽しみながら乗り越え、前向きであきらめない」という性格そのままに、新たな挑戦を考えていた。

「平成三十年」(97年6月~98年7月、朝日新聞に連載)は、平成30年の日本を描いた予測小説。少子高齢化など平成の現状を見越すなど、堺屋さんの先見性の高さを示す内容だ。5月に元号が変わることを踏まえ、平成三十年のその先の日本を描こうとしていた。

死は、突然だったという。弔辞を読んだ菅義偉官房長官や茂木友三郎キッコーマン名誉会長も「突然の訃報」と口にした。代表作の「団塊の世代」を手掛け、40年来の交流がある編集者の豊田利男氏によると、堺屋さんは今年1月16日に心臓弁膜症で手術を受けたという。一般病棟に移り退院の話も出ていたが、体調が悪化。亡くなる2日前の今月6日、意識がなくなったという。病気や手術は回復後に公表する予定で、親しい関係者もほとんど、報道で訃報を知る形になった。

豊田さんも堺屋さんに「大阪・関西万博までは生きていたい」と聞き、ライフワークといえる万博への思いを感じた。退院を前提に春以降の予定も考え始めており、「ご自身でも、まさか死ぬとは思っていなかったのでは」と悔やんだ。

石原慎太郎元都知事や小池百合子都知事、建築家の安藤忠雄氏、70年大阪万博でパビリオンの制服を制作したファッションデザイナーのコシノジュンコさんらが参列。愛妻家で知られた堺屋さんらしく、洋画家の妻、史子(ちかこ)さんの作品を背に語る写真が遺影に選ばれた。【中山知子】