東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生直後、福島で撮影された映画「FUKUSHIMA DAY」の桜井亜美監督は、東北での再上映実現へ、強い意欲を持ち続けている。平成最後の土曜日となった4月27日には都内で、12年3月の公開以来7年ぶりの再上映を成功させた。監督は「3・11は私にとって平成最大の事件。福島のことは解決していない」と訴えた。

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東日本大震災に大きな衝撃を受け「撮影し、残すことで誰かが同じような気持ちになったら伝わっていく」という一心で福島に入ってから8年…。桜井監督は「令和は平成の課題を解決する時代」と位置付け「FUKUSHIMA DAY」再上映へ動きだした。

再上映のきっかけは昨年、主演の長屋和彰(31)が出演した映画「カメラを止めるな!」が日本映画史に残る大ヒットをしたことだった。被災地・東北の有志を中心に、長屋の初主演作「FUKUSHIMA DAY」を見たいという声が複数、寄せられた。

折しも平成が終わるタイミングだった。桜井監督は映画を見直し、津波で流された「アンパンマン」のおもちゃの場面に目が留まった。「何が起きたか想像するだけで撮っていて言葉が出てこなくなった。誰かが同じような気持ちになったら伝わっていくと思った」。映画で3・11を伝え続けていきたいと強く思った。

「FUKUSHIMA DAY」は当初、東京で活動する知人の俳優が故郷・福島の妹を心配していると知った桜井監督が、一家を描くドキュメンタリー企画として立ち上げた。2人のクルーと撮影を始めたが、取材を進めるうちに俳優の妹は「話をしたくない」と口をつぐみ、一家から協力を得ることが難しくなり、撮影は頓挫した。桜井監督は「(取材対象者の)気持ちが理解できていなかった部分があった」と振り返る。

その後、一家をモチーフにフィクションで作る方向に切り替え、脚本を執筆。俳優を集めて再度、撮影を行い、完成させた。ただ、ドキュメンタリーではなく、フィクションにしてしまったことは胸の奥に悔いとして残っていた。

都内での再上映後、複数の観客から「改めて3・11を考えた」「風化させたくない」との声を受け、桜井監督は悲願の東北での初上映に踏み出そうと考え始めた。11年12月の完成披露、12年3月の上映は東京・渋谷の劇場1館のみ。同月に千代田区で行われた復興支援展覧会での上映含め、上映は都内に限られた。桜井監督は「広くたくさんの方たちに見ていただくことが何よりですが、東北の方に1番に見ていただきたかった。でも、そのチャンスがなかった。次は、母の出身地仙台で再上映したい」と力を込めた。【村上幸将】

◆「FUKUSHIMA DAY」 福島第1原発事故後の11年5月、福島県出身の将太(長屋)は、東京で俳優を目指しながらバイト生活をする中、友人から原発反対の活動に誘われたが、俳優に手が届かない無力感からその気になれなかった。事故の影響を危惧(きぐ)して久しぶりに帰郷し、中学生の妹はるか(深谷麗奈)に東京に来るよう説得するが、地元で友人と一緒にいたいと強く拒否される。両親(佐藤貢三、おぞねせいこ)も、福島で生きることを何より大切と考えており家族の間に溝が生まれる。