天皇、皇后両陛下は27日、令和最初の国賓として来日したトランプ米大統領夫妻を、新時代の皇室流でおもてなしした。

ともに堪能な英語を駆使して、通訳を交えずに会話。宮中晩さん会では、陛下が日米関係の繁栄に強い期待を示し、自身や外交官出身で海外生活が長い皇后さまと米国の縁に触れ、「令和皇室」像を体現した。皇后さまは笑顔と気遣いを絶やさず、本格的に「皇后外交」デビュー。晩さん会後の懇談にも、久しぶりに出席した。

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天皇陛下と皇后さまは27日夜、皇居・宮殿の「豊明殿(ほうめいでん)」で宮中晩さん会を催した。陛下はメラニア夫人、皇后さまはトランプ氏の隣に着席。自然に英語で会話した。

陛下はあいさつで「(両国民が)揺るぎない絆をさらに深め、希望にあふれる将来に向けて、世界の平和と繁栄に貢献していくことを切に願っている」と述べた。85年、英国留学の帰途に訪米し、レーガン大統領にもてなしを受けた経験や、皇后さまが幼少期や学生時代を米国で過ごしたことに触れ、「貴国に懐かしさとともに、特別の親しみを感じている」と語った。

ベージュのロングドレスの皇后さまは食事が始まると、トランプ氏と和やかに談笑。晩さん会では食後に出席者が別の部屋で懇談する場(後席)が設けられるが、この日、療養に入る直前の03年10月以来となる出席を果たした。これまでは起立した状態での懇談は負担が大きいとされていた。

これに先立つ歓迎行事と会見には、オフホワイトのスーツ姿で臨んだ。陛下がトランプ氏と話す横で、メラニア夫人と互いの子どもの教育などについて約15分、終始英語で語り合った。高いヒールのくつをはいた夫人の足元を気遣い、エスコートする場面もあった。

5月1日に即位されたばかりの陛下にとって、代替わり後、初の本格的な国際親善の場。それは皇后さまも同じだ。海外生活が長く、外交官として世界とつながってきた。豊富な海外経験を「皇室外交」に生かすことへの思いを持ちながらも、皇太子妃時代にはなかなか実現しないことへの戸惑いを、会見で口にされたこともあった。

療養生活は今も続いているが、陛下とともに英語を駆使しながら笑顔で国賓をもてなす姿は、令和の新たな皇室像をあらためて示した。宮内庁によると、トランプ夫妻から陛下に楽器のビオラ、皇后さまに母校ハーバード大ゆかりの木でつくられたペンが贈られたが、皇后さまが「陛下、今夜(ビオラを)お弾きになられたら?」と、ユーモアたっぷりに提案する場面もあったという。両陛下は夫妻に濃い青色の飾り鉢、金細工を施した飾り箱を、大統領夫妻に贈った。

一連の行事は午後10時前に終了。両陛下は夫妻が乗った車を、玄関前で手を振りながら見送った。

◆ご結婚までの皇后さまの歩み 63年(昭38)12月9日、外務省事務次官や、オランダ・ハーグの国際司法裁判所判事も務めた小和田恒氏、優美子さん夫妻の長女として誕生した。幼少時は父の仕事の都合でモスクワ、ニューヨークで過ごし、英語、フランス語、ドイツ語に堪能。帰国後、高校1年時に再渡米し、ボストンの高校からハーバード大経済学部に進学、国際経済学を専攻した。

帰国後、学士入学した東大在学中に外交官試験に合格し、父娘二代で外務省入省。在職中、天皇陛下と同じく英オックスフォード大にも留学経験がある。北米2課に勤務していた際は、日米貿易摩擦問題など日米外交の最前線で仕事をしたほか、日本側首脳の通訳もこなした。

◆皇后さまと「皇室外交」 幼少時をモスクワ、ニューヨークで過ごし、英語、フランス語、ドイツ語に堪能。米ボストンの高校からハーバード大に進んだ。外務省北米2課では、日米貿易摩擦問題を担当。93年6月、陛下と結婚し皇室に入った。婚約会見では「今私の果たすべき役割というのは、殿下のお申し出をお受けし、皇室という新しい道で自分を役立てることではないかと考えた」と、海外経験を「皇室外交」に生かす思いを語ったが、「お世継ぎ」への重圧もあり、療養生活に。会見で「外国訪問がなかなか難しいという状況は正直申しまして、その状況に適応するのになかなか大きな努力が要ったということでございます」と話したこともある。13年4月にオランダを訪れるまで、海外公式訪問は11年間「空白」が続いた。