日本電信電話公社や国鉄などの民営化を行った中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前7時22分、老衰のため都内の病院で死去した。101歳だった。自民党によると、葬儀は近親者のみで執り行われ、お別れの会が後日開催される予定。

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「首相と恋人は私が選ぶ」(1960年前後。青年将校と呼ばれた若手時代、「首相は国民投票で選ぼう」と首相公選制を掲げ、全国行脚)

「風の方向が分からないで船を進めることはできない」(78年4月、「政界の風見鶏」と呼ばれることについて)

「日本列島を不沈空母のように強力に防衛する」(83年1月、首相就任後、初の訪米でワシントン・ポスト紙社主に不沈空母発言)

「中曽根は死んだふりをしていたというが、野党は知らないふりをしていた」(86年6月、「死んだふり解散」で衆参同日選。野党の「ウソつき」批判に)

「米国には黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって平均的にみたら非常に低い」(86年9月。自民党研修会で知的水準発言。米国で日本製品不買運動が始まり、謝罪)

「愛とか友情とか、ソフトクリームみたいな話ばかりで、お天道様が出たら消えちゃうんじゃないか」(96年5月、「友愛」を理念に、鳩山由紀夫氏らが旗揚げする民主党を辛口批評)

「政治家は聖人君子である必要はない」(97年10月、腹心の佐藤孝行氏の入閣・辞任で再燃した政治倫理問題で)

「極東で紛争が起こらないように番犬として使うということだ」(97年10月、在日米軍は番犬発言)

「真空はあらゆる政策を受け入れることができる。カリスマ性はないかもしれないが、真空という強さが潜んでいる」(98年12月、「文芸春秋」で小渕恵三首相を「真空総理」と命名)

「老兵は死なず、ただ頑張るのみ」(2000年1月、自民党が衆院比例代表候補の73歳定年制を検討。当時81歳。引退の意思がないことを表明)

「突然やってきて、このようなことを言うのは非礼だ。爆弾を投げるような一種の政治的テロだ」(03年12月、小泉純一郎首相の引退要請に激怒)

「政治家は常に歴史法廷に立つ被告人との思いで精励努力を重ねてきた」(18年5月、100歳の誕生日を迎え)