東京オリンピック(五輪)・パラリンピックイヤーが幕を開け、開催まであと約200日。橋本聖子五輪相(55)がこのほどインタビューに応じ、注目されていた7月5日の東京都知事選挙への出馬について「ない」と明言し、命がけで東京大会に取り組むと話した。

また、メダル獲得数予想を行ったほか、自身の子供たちのスポーツへの取り組みなども明かした。【取材・構成=近藤由美子】

-五輪イヤーを迎えた心境は

東京招致にかかわってから失敗も含めて十数年になるので、いよいよだなと。非常に感慨深いです。

-1番の課題は

まずはサイバーも含めたセキュリティー。感染症対策、輸送や暑さ対策もそうですが、自然災害対策も必要。特にラグビーワールドカップ(W杯)日本大会では3試合、実施することができなかった。災害に備えることも大事です。

-完成した国立競技場の東京大会後の利用方法について思うところを聞かせてください

国民の皆さんに親しみを持っていただけるものが1番いいのでは。どの国も陸上は花形ですから、トラックを残してほしいというアスリートの意見はものすごく寄せられます。文科省が関係機関と協議し、今後について決定していきますが、今の技術だと全面的に対応できると思うんですね。音楽、文化の発信も含め、あらゆる方たちが枠にはめられない中で、あらゆる発信ができればと思います。

-家庭では、お子さんたちと東京五輪について話をしますか

自国開催ということで楽しみにしていますね。チームゲームは盛り上がるようで好きみたいです。

-お子さんたちはスポーツに取り組んでいますか

娘はゴルフ、息子たちはサッカーやバスケ、野球をやっています。私が小さいころ、目標にしていた「絶対に五輪選手になるんだ」という強い思いはないですね。それぞれ目標を持って、やりたいスポーツをやっています。

-五輪選手になってほしいと思っていましたか

思いはありました。五輪に興味を持ってもらっているようなのですが、私の子供だと分かった瞬間から、できて当たり前だね、と思われてきたらしくて。そう思われることがものすごいプレッシャーで、どんどん本格的なスポーツ路線から外れていったようで。やれて当たり前と思われているのが、かわいそうだなとも思います。すごく隠したいという感じでした。

-元五輪選手だけに、助言を求められることはありますか

どうしても私だと本格的なことになってしまうようで、あまり聞きたくないらしく、自由にやりたいみたいですね。私とはスポーツの話はしないんですよ。

-64年東京五輪開会式を会場で見たことから、聖火から「聖子」と名付けたお父さまと、東京五輪について話をされることは

めったに会えない状況ですが、東京五輪・パラリンピック担当大臣になったことは、喜んでいるのと同時に、大変だなと感じているみたいですね。もう95歳ですから。今年の東京大会をどんな風な思いで見るのか、楽しみにしていると思いますけど。やっぱり父にとって、開会式が楽しみなんじゃないですか。

-札幌市にとって、マラソン及び競歩開催は、目指している2030年五輪招致にも弾みになるのでは

東京大会と30年招致は別ものですから。一緒に考えることはできませんし、JOC(=日本オリンピック委員会)が正式にIOCに立候補する、と宣言してからの話になりますが、札幌市としては開催能力、つまり、高いレベルで開催できる能力があることを見ていただきたいと考えていると思う。しっかりやり遂げていけば結果がついてくると思いますので、前向きに取り組んでいただけたら、非常にいいものになっていくと思います。

-東京五輪のメダル獲得数予想をお願いします

16年リオデジャネイロ大会の史上最多41個を上回る50個以上です。そのうち、金メダルは30個。(10年バンクーバー、14年ソチ、16年リオ五輪と団長を務めた際は)JOCもビックリするくらい高い目標を立てましたが、全部クリアしてますからね。いけるんじゃないかと。選手たちが活躍できる環境を整えることが、私の今の役割です。まさにワンチームになれるよう頑張りたいと思います。

-聖火ランナーの最終ランナーはズバリ決まっていますか

決まっていないですね。最後、どのように点火されるのかも分からないですし。私も興味を持って待っています。誰になるか、想像がつかないですね。最終点火者になっていただきたい方はたくさんいますからね。そういった方たちに、全員で点火してもらった方がいいかなって感じもしますよね。

-東京五輪が開幕する7月に行われる東京都知事選候補に名前が上がっています。出馬の可能性は

あるわけないですよね(笑い)。どんな時も、名前を挙げられるんですよね、最近は。大臣として、東京五輪・パラリンピックが無事に終わるまで真剣に、ある意味で命がけですね。

◆橋本聖子(はしもと・せいこ)1964年(昭39)10月5日、北海道早来町(現安平町)生まれ。3歳からスケートを始める。冬季に4回、夏季に3回と五輪は計7回出場。10年バンクーバー、14年ソチ、16年リオデジャネイロと五輪日本選手団の団長を計3回務めた。95年に参院選自民党比例区で初当選。現在5期目。19年9月に東京五輪・パラリンピック担当大臣に就任。女性活躍担当も兼任。家族は夫と三男三女。