青森県鰺ケ沢町の秋田犬「わさお」が6月8日午後5時54分、多臓器不全のため息を引き取った。不細工だけどかわいい「ブサカワ犬」として全国的な人気を集め、幅広い年齢層から愛された。暮らしていた同町のイカ焼き店「きくや商店」には花束を持った多くのファンが訪れ、死を悼んだ。「わさおプロジェクト」の工藤健さん(52)も、涙に暮れた1人。人気犬の生涯に寄り添ってきた13年を振り返り、「わさおがいた風景」として随時連載でお届けします。

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人間なら四十九日法要にあたる26日が過ぎたが、今もきくや商店では献花に訪れる人が絶えない。わさおは推定13歳、人の年齢なら90代前半の「大往生」で旅立った。工藤さんは「店内は花束でいっぱいです。8月9日にしのぶ会を催そうかと思います」と話した。

わさおは迷い犬だった。07年晩秋。当時は地元の人が鰺ケ沢町の海の駅「わんど」で餌を与えていたが、大きく成長したことで、保健所に保護される話が浮上した。だが、わさおは警戒心が強く、誰も捕まえることができない。そこで声がかかったのは、野良犬や捨て犬を引き取り、面倒見の良かった故菊谷節子さん(享年73)だった。当時の名前はライオンのような毛並みから「レオ」だった。

ブームの転機は翌08年春。有名ブロガーに「毛がわさわさしている」からと「わさお」と名付けられ、ネット上で大反響となった。地元のブロガーだった工藤さんは「記事で存在を知って、実際に会いに行きました。熊なのか犬なのか分からなかった」と容姿に衝撃を受けた。「『わさおと呼ばれてますよ』と伝えたら、母さん(菊谷さん)は『わさお? いい名前だね』って」。後に映画のタイトルにもなったスター犬の「襲名」披露はあっさり決まった。

イカ焼き店の看板犬らしく、大好物は焼いたイカだ。青森を代表する海産物だが、一説には犬や猫には消化が悪く食べさせてはいけないとも言われるが、お構いなしにバクバク食べていた。工藤さんは「ご褒美として少しだけ与えていました。『もっとくれくれ』って感じで、かぶりついていましたね」と懐かしがった。

大型連休になるとわさお目当てに多くの観光客が訪れた。国内のみならず、東欧ポーランドからもファンが足を運んだ。「芸をするわけでもないのに、多くの人を魅了していました。わさおという存在感が、台風の目のように周りで大きく渦を巻く。こんな犬には、もう2度と会うことはないかな」。

犬と人間にも絆がある。これまで親子のように接してきた菊谷さんが17年に間質性肺炎で他界した。そのときのわさおについて工藤さんは「ふに落ちない顔をしていました。『なんでいないんだよ』って」。菊谷さんの死後2週間は、日課の散歩が終わると、菊谷さんがいつも座っていた場所を確認すると、寂しそうに犬小屋に引き返した。「また会えると思っていたようです。わさおが諦めないことによって、自分も救われました。会えないと分かっていても、振り返ると『菊谷節子の教えは残っているな』と思うようになりました」。

最後まで「わさお」を貫いた。年齢を重ねるに連れて、散歩中に立ち止まったり、荷台にジャンプして飛び乗ることが困難になった。今年4月からは、立ち上がれない状態になり、療養生活を送った。工藤さんも「その日に逝くとは思っていなかった」という6月8日。動物病院で3時間の点滴を打っていた。モゾモゾしたり、バタバタしていたが、ゆっくり眠りに入った。安らかな顔だった。「母さんが迎えに来たと思った。『わさおよく頑張ったね。こっちおいで』って、呼びに来たんだなって。ドラマのような見事な去り際でした」と、「わさお物語」の幕切れを見届けた。

工藤さん 人の数だけ「わさお」がいます。相反する、矛盾した物が同一に存在する。「ブサカワ」「ツンデレ」「凶暴なのに甘えん坊」だったり。

11年冬に公開された主演映画でも、わさおは「千両役者」だった。【佐藤究】

◆開催 わさおありがとう実行委員会(杉沢廉晴委員長)は8月9日午前11時から、日本海拠館あじがさわ(鰺ケ沢町大字舞戸町字北禿181)1階冬の広場で「わさおを偲(しの)ぶ会」を開催する。平田衛町長や最後の飼い主の菊谷忠光氏らがお別れの言葉を述べる。また同16日まで追悼献花コーナーを設け、同5~30日まで「わさおを偲ぶ写真展(午前9時~午後6時)」も併設する。ともに入場無料で、月曜と火曜は休館。