数々の映画をヒットさせてきた角川春樹氏(78)の最後の監督作品「みをつくし料理帖」が公開中です。角川氏がプロデュースを手掛け、1970~80年代を鮮やかに彩った「角川映画」に思い出を重ねる人も少なくないでしょう。「角川マジック」と言われたヒットの背景を、あらためて振り返ります。【相原斎】

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若い世代の人たちには、ローマ字の「KADOKAWA」で幕を開ける角川映画の方が親しみがあるかもしれません。98年の「リング」「らせん」に始まる一連のホラー作品で知られ、昨年の「新聞記者」や「天気の子」にも、KADOKAWAのクレジットがあります。

93年、角川春樹氏が麻薬密輸で逮捕されるという事件がありました。これをきっかけに経営は弟の歴彦(つぐひこ)氏(77)に移り、より幅広い題材を扱う「普通の映画会社」になっているのです。

今回取り上げるのは、少し上の世代がイメージする、春樹氏が指揮を執っていた頃の「角川映画」です。個性的な作品でヒットを飛ばし続けました。ヒット作はどうやって生まれたのでしょう。

「読んでから見るか 見てから読むか」の宣伝文句を覚えている人は多いでしょう。出版社(角川書店)の社長だった春樹氏は、原作本込みで宣伝する「メディアミックス」という手法を映画界に持ち込みました。初プロデュースの「犬神家の一族」(76年)は、その5年前から文庫本でブームを仕掛けていた横溝正史作品の映画化です。映画界には、まだテレビをライバル視する風潮があったのですが、春樹氏は前例にとらわれず積極的にテレビCMを打ち、年度2位の興行成績をあげたのです。

角川映画の出演料は他社作品より高いと言われました。「宣伝協力費込み」の意味合いがあり、俳優たちは進んでイベントやテレビに出ました。今では当たり前になった「番宣活動」の先駆けです。映画界には反発もありましたが「どうやって金を取るか。すべてを支配していくプロデューサー」(岡田茂東映社長=当時)と評価の声も増え、「映画界の風雲児」と呼ばれるようになったのです。

出版では埋もれた才能を発掘する力、映画ではこれと見込んだ作品に大量のCMを打つ。眼力と直感力が、全盛期には「神がかり」と映りました。言動も神がかっていて、「自分の神社」を持ち、直感を「霊感」と言うこともありました。

高倉健主演の「野性の証明」(78年)のオーディションで選んだ薬師丸ひろ子(56)を国民的アイドルに押し上げた作品が「セーラー服と機関銃」(81年)です。もともと、当時人気絶頂のたのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)の「グッドラックLOVE」の併映作として企画されましたが、配給の東宝が宣伝費の振り分けで「添え物扱いをした」と激怒。ライバル東映に劇場を移し、同じ公開日にぶつける想定外の行動が、大ヒットにつながったのです。

ジャニーズブランドのたのきん人気に「添え物」として乗っていればヒットが約束され、全国の劇場の立地は明らかにたのきん側が有利だったことなどから、「無謀な行動」に映りました。ところが、ふたを開ければ「セーラー服-」は年度1位となり「グッドラック-」の倍の興行成績。「逆バネ」が薬師丸人気を爆発させたのです。

ヒットに沸く劇場の楽屋を訪れて、春樹氏に困惑させられたことを覚えています。薬師丸を指し「今、ひろ子には後光が差している。君にも見えるだろう?」と問いかけてきました。比喩的な意味ではなく、春樹氏の場合は本気です。答えに窮するのを見て薬師丸は笑いだしましたが、春樹氏は意に介しません。「ここまで数字(動員数)が伸びるとは誰も思っていなかっただろう」と話を続けました。神がかり発言をしてもそれを押しつけないおおらかさが、多くの俳優やアーティストを引きつけます。

「ねらわれた学園」(81年)に主題歌「守ってあげたい」を提供して以来、40年の親交がある松任谷由実(66)もそんな1人。春樹氏が角川映画主題歌のNO・1に挙げる「Wの悲劇」をはじめ、麻薬密輸事件によるブランク中に作られた唯一の監督作品である97年版「時をかける少女」にも楽曲を提供しました。松任谷は「春樹さんの本質は少女のような感性。不思議に守ってあげたくなる」と明かしています。

誰もが口ずさめる「守ってあげたい」は、実は角川映画の主題歌売り上げでは歴代3位。1、2位が薬師丸の「セーラー服と機関銃」と「探偵物語」、そして4位が原田知世(52)の83年版「時をかける少女」です。主演女優が主題歌を歌ってヒットさせるのも春樹氏の「必勝パターン」でした。本、映画、音楽の連携が「角川商法」の真骨頂なのです。81年の「悪霊島」では「レット・イット・ビー」と「ゲット・バック」を挿入歌に使いました。ビートルズの曲を日本映画で使う発想は当時としては革新的で、洋楽使用の先駆けともなりました。

代表作の1本「復活の日」(80年)は、パンデミックが題材でした。新型コロナウイルスの感染拡大による巣ごもり鑑賞で、今を予期していたようなこの作品の再生回数が増えました。

春樹氏は最近の取材でも関連質問を受けたそうです。本人は「コロナ禍を予期していましたか? と聞かれるから、ハイ、全部見えていました、と答えることにしている。だから、2年前に『みをつくし-』を(劇場の入場制限が解除された)今年10月に公開すると決めました、と。つじつまが合うだろう」と笑います。

予言が現実になったのか、たまたま現実になったから予言となったのか。少なくとも70、80年代の映画界がそんな「角川マジック」で動かされていたのは確かなのです。

◆角川春樹(かどかわ・はるき)1942年(昭17)1月8日、富山県生まれ。65年に父源義氏が創業した角川書店に入社後は、スパイ小説のフレデリック・フォーサイスを日本に紹介するなどした。映画製作本数は73本、監督作は8本。93年にコカイン密輸事件で逮捕。保釈中に「時をかける少女」(97年)を監督。05年「男たちの大和」のプロデュースで本格復帰。6度の結婚歴があり、最初の3人の妻と現在の明日香夫人(32)との間にそれぞれ1人ずつ子どもがいる。

◆相原斎(あいはら・ひとし)1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒沢明、大島渚、今村昌平らの撮影現場からカンヌ映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。角川映画のマイベスト3は「セーラー服と機関銃」「Wの悲劇」「スローなブギにしてくれ」。