10年前、白川司さんは最愛のひとり娘・葉子さんを東日本大震災による津波で亡くした。第2子の妊娠が分かり、喜びをかみしめながら帰宅する途中だった。なぜ助けてやれなかったのか、答えの出ない泥沼にはまった。絶望の淵からはい上がった白川さんは今、東京・浅草の地下街で占いカフェのマスターになっていた。

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津波で命を落としたひとり娘の葉子さんが夢に出てくれない。

白川さん 葉子は許してくれないんですかね。人の助けになる何かをしたい。そうすれば死んだときに葉子はあの世で迎えに来てくれる、っちゃろうか。

あの日、葉子さんは体調不良を感じて、自宅のある福島県富岡町から宮城県の産婦人科に診療にいっていた。第2子を懐妊していた。喜びを抱きながらスピードを出さないように海沿いの一般道を走り自宅に向かう途中、津波に遭った。海から一番近い道路だった。

白川さんは福岡で生まれて育った。関東での生活が長くなったが、本音でしゃべると方言がこぼれ出る。数種の仕事を経て飲食店を経営、20代で結婚し、葉子さんを授かった。30歳で家を建て人生、順風満帆だった。ところが、妻と中学2年の葉子さんを置いて逃げてしまった。

白川さん 葉子に会えたのは高校を卒業した18歳のとき。東京電力福島第1原発に就職したことも聞いていた。孫娘も震災の1年前に生まれていた。もうそろそろ会おうという話をしていた。そこにあの津波だった。

10年前の4月17日、相馬市の遺体安置所でネックレスから葉子さんが確認された。その3日前、白川さんは遺体発見地点から50メートルの場所を捜索していた。自分の手で見つけられなかった後悔が今も心の傷として残る。白川さんは供養として発見された請戸川を毎年訪れている。それでも夢に葉子さんは現れてくれない。

白川さんは子どものころから祖父母と同居だった。

白川さん ウチは伯家神道(はっけしんとう)の流れをくむ家系です。祭祀(さいし)をつかさどっていた家元だったようで、祖父の口ぐせは「世が世なら…」だった。その言葉を耳にしたくなかった。

中学生までは祖父の教えに従い学校でも無口だった。高校生から窮屈な生活に耐えられずに反発。洋画家・東郷青児の弟子の下で修業をして、有名芸大に合格したが才能のなさを自覚して入学しなかった。

白川家とは縁を切ったつもりが、周囲は伯家神道の末裔(まつえい)かと、「教祖にならないか」「白川家の名前なら金集めもできる」とひっきりなしに声を掛けてきた。ノイローゼのようになり、家族を捨てた。

この10年、むなしい毎日を送り、居酒屋、ライブバー、喫茶店などを開いてつぶすことを繰り返した。そして昨年10月、たどり着いた。今は浅草の地下街で筆を使った占い喫茶を営んでいる。

白川さん 感じたまま、筆を走らせる。悪い予感もあるけど、言う必要がない。良さそうなことを見つけて教えてあげる。希望は生きる力になりますから。

震災で葉子さんを失い生きる気力もなかった。皮肉にも今は人生に迷う人を受け入れて背中を押している。

白川さん あれだけ嫌がっていた神の存在を思わせる予言やら、芽の出なかった絵に頼ることになっている。人生に悩むいろんな人が来る。でも、生きていればなんでもできる、最後は励まして送り出す。人間必ず死ぬ。生きていればこそ、です。死ぬんですよ。生きていればこそ、です。【寺沢卓】