「幻の五輪代表」伊藤国光さん(66=JFEスチール競走部監督)が2日、生まれ育った長野県伊那市で東京五輪の聖火ランナーを務め、男子1万メートル日本代表に選出後、日本がボイコットした80年モスクワ五輪の思いも込めて走った。「私のオリンピックに思う気持ちが聖火という形で表現出来た。自分自身が(日本代表に選ばれながら)五輪に行けなかった悔しい胸の内が少し晴れた気がします」と胸を張った。

小学4年時に学校の講堂に集まって見た64年東京五輪男子マラソンが、今でも脳裏に鮮明に浮かぶ。テレビ観戦もあまり経験がなく、外国人選手を見ることもも初めてだった。スタートから独走して金メダルを獲得したアベベ・ビキラ(エチオピア)の姿が衝撃的だった。マラソンを始めるきっかけにもなった。「ふるさとを離れて40年近くになるますが、こういう形でお顔を見せることが出来てうれしいです」。沿道には小学校時代からアベベを目指して野山を駆け回った仲間や、五輪代表がはかなく散った思いを知る人々が、笑顔で手を振った。感謝の言葉を発しながら手を振り返す伊藤さんも笑顔になった。

苦しくなると首を大きく横に振る独特な走りが人気で、マラソンでも瀬古利彦や宗茂、猛兄弟らと好勝負を演じてきた。1万メートルで出場権を獲得したが、1980年(昭55)5月24日、日本オリンピック委員会(JOC)がモスクワ五輪不参加を決定した。前年にソ連がアガニスタンに軍事侵攻したことが発端となり、米国が各国にボイコットを呼びかけた。JOCの一部委員は最後まで参加を模索したが、政府の意向もあって、採決により正式決定した。

引退後は、「第2のアベベ」育成を目標に、指導者として尽力してきた。カネボウ監督時代は00年シドニー五輪男子1万メートル7位の高岡寿成氏を輩出したが、教え子にマラソン五輪代表はまだいない。「今日、走ったことで、まだまだランナーをつくりたいなと、あらためて思い直した」。24年パリ五輪は、監督としてのマラソン五輪出場にも挑む。

今大会もコロナ禍により、まだ不透明な状況は続く。自身が味わった悔しさを、現役選手らに味わってほしくない思いもある。「私が聖火を走ることで、競技を開始する、絶対にやるんだという気持ちを伝えたいと思って走りました。トーチが思ったより重いなって、ちょっと年を感じました」。64年東京、80年モスクワ、そして東京2020へと、五輪にかける思いもつなぐ聖火だった。【鎌田直秀】

 

◆伊藤国光(いとう・くにみつ)1955年(昭30)1月6日生まれ、長野県伊那市出身。上伊那農時代は全国高校駅伝で3年連続1区。3年時には区間賞。卒業後はカネボウ陸上部へ。1万メートルなどで日本新記録樹立。81年アジア大会1万メートル優勝。マラソンは24度出場し、日本記録をマークした北京国際マラソン2位などがあり、未勝利は「マラソン界の7不思議」と称される。自己最高記録は2時間7分57秒。91年引退。監督としてはカネボウで96年全日本実業団対抗駅伝で旭化成の7連覇を阻んで18大会ぶり4度目の優勝。12年4月から専大陸上部監督。18年2月にJFEスチール競走部監督に就任。

◆2日の聖火リレー 長野県の2日目は、飯田市でタレントの峰竜太からスタート。諏訪市ではタレントも藤森慎吾がつなぎ、最終区間の松本市では18年平昌(ピョンチャン)五輪スピードスケート女子500メートル金メダリスト小平奈緒がアンカーでゴールした。今日3日は岐阜県内を巡り、中津川市で女優の竹下景子、郡上市では女優の紺野美沙子、高山市ではNHK「おかあさんといっしょ」で体操のお兄さんを務めた佐藤弘道が走る。