入所者ら45人が殺傷された知的障がい者施設「津久井やまゆり園」(相模原市)で東京パラリンピックの聖火を採火する方針を巡り、遺族や被害者家族の一部が会場の変更を求めている。要請書を出した尾野剛志さん(77)は、事件で重傷を負った尾野一矢さんの父だ。行政側から事前に何ら説明のないまま決まったことに怒りと悲しみが募った。20日までに方針撤回など具体的な回答を要求している。

13日に相模原市役所を訪れて、要請書を提出した。市側からは誰もが安心して暮らせる共生社会の実現や事件の風化を防ぐことを理由に採火場所に選定したと説明があったが、剛志さんは「あそこで採火することを誰も望んでいない。利用者たちを泣かせてまでやることが本当に共生社会なのか」。声には深い憤りと失望がこもっていた。

本村市長はこの日姿を見せなかった。応対した担当者は「至らぬ点があったことを心からおわびしたい」とし、要望を踏まえて再度検討するとした。

事件発生から今夏で5年を迎える。剛志さんは「早かったような、短かったような…。いろんな所でお話しする機会があったので、余計なことを考えずに過ごせました」。それでも、あの日のことは決して忘れることはない。

2016年7月26日午前5時半ごろ、友人からの電話で起こされてテレビを付けた。「15人死亡」というテロップを見て、すぐに施設に駆け付けた。覚えているのは、大きなテーブルに置かれたA4用紙。利用者の名前が記載され、その横には「○」「×」の印。一矢さんの欄には搬送先の病院名が書かれていた。車のナビをセットするのがおぼつかず、震える手で何度も操作した。道中の記憶は一切ない。

病院では既に一矢さんの手術が始まっていた。手、首、のど、腹部に深い傷を負い、大腸は切れる寸前。意識不明の重傷だった。手術は成功したが、担当医師は「予断を許さない」と述べ、集中治療室(ICU)に入っていた息子に、剛志さんは「頑張れ、頑張れ」と祈り続けた。面会できたのは3日目の28日。「お父さん、お父さん、お父さん」と言い続ける息子の姿に、涙が止まらなかった。

一矢さんは妻の前夫との間にできた子で、剛志さんと血のつながりはなかった。それでもわが子と変わらず接してきた。生死の淵をさまよい生還した息子のことを思い返し、剛志さんは「この時ほど息子のことがいとおしいと思ったことはありませんでした」と瞳を潤ませて話した。

「意思疎通が取れない障がい者を殺した」などと主張を続けた植松聖(さとし)死刑囚の公判にも、剛志さんは参加した。昨年2月に被害者参加制度で出廷して直接質問したが、歯切れの悪い回答が目立った。事件への反省も一切聞こえず「死刑判決を受けるためだけの形式的な裁判」と感じ、むなしさだけ募った。

障がい者への差別や偏見をなくしたい-。そんな一心でこれまで全国20カ所以上で講演を行ったり、報道陣の取材を積極的に受けたり、地道な草の根活動を続けてきた。亡くなった方々への冥福を祈りながら、穏やかに暮らしたいという関係者の声を伝えてきた。

だからこそ、パラリンピック採火の方針を知った当時は「寝耳に水の出来事で、憤りを隠せませんでした」。大勢の人でにぎわう「セレモニー」の場が、やまゆり園が抱える「レクイエム」の場にそぐわない。剛志さんは「運営に関わる皆さんが厳かに、粛々と行うと言っても、いろんな方々がイベントに来る。お祭りのようになってしまうのではないか」。市側の回答結果次第では、大会組織委員会の橋本聖子会長宛てに要請書を出すことも考えている。【平山連】