国ごとの映画興行収入で不動の1位だった米国が昨年、中国に抜かれる大変動が起きました。日本では、緊急事態宣言によって都内の映画館が1カ月以上休業を余儀なくされています。コロナ禍は映画界にさまざまな変化をもたらしています。【相原斎】
米国の映画興収は長年にわたって年間約1兆2000億円のレベルをキープ。これは3位日本の約6倍の規模です。11年に日本を抜いて2位となり、右肩上がりの中国は19年に9900億円台に達し、いつかは米国を抜くとみられていましたが、コロナ禍がその最後の一押しとなったのです。
昨年正月、新型コロナの発生によって武漢海鮮市場が閉鎖された中国では、公開が予定されていた話題作が軒並み延期されました。感染リスクの低い地域から映画館が再開したのは7月ですが、翌月には日中戦争を題材にした大作「八佰」が公開され、これをきっかけに国産映画のヒットが相次ぎました。結果、前年の3割に当たる約3000億円規模まで回復しました。
一方、1年を通じて影響が広がった米国では前年の約2割、40年ぶりの低水準となる約2200億円にとどまり、低レベルながら、昨年実績で歴史的な逆転が現実となったのです。
日本に目を移すと、20年の興収は前年の54・9%に当たる1432億円。この20年で最低の数字となったことは確かですが、映画館側の安全対策の徹底や「鬼滅の刃 無限列車編」の大ヒットもあり、米中両国に比べて、減り幅が少ないのが分かります。さらに公開本数は前年比79・6%の1017本。製作現場が安全対策を徹底し、撮影を進めた結果と言えるでしょう。
邦画の興収は前年比76・9%の1092億円。中国同様に国産映画の比重が大幅に高まりました。一因はハリウッド大作の世界各地での公開を決める米国本社の混乱です。
事情に通じる元20世紀フォックス・ジャパンの古沢利夫さんは「前例のないコロナ禍で、メジャー・スタジオの百戦錬磨の営業責任者も実は公開のタイミングがまったくつかめませんでした」と明かします。
そのため、営業責任者が神経を使う注目作ほど、迷走を繰り返すことになりました。人気シリーズの最新作「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」は20年4月に世界公開の予定が、同年11月→21年4月→同年10月と3回も公開日を変更することになりました。
ウォルト・ディズニーが5大陸を巡ってヒロインを探した世界的注目作「ムーラン」(リウ・イーフェイ主演)の場合は、20年4月の公開予定を無期限延長。同年9月には同社のトップが苦渋の決断でDisney+での有料配信に切り替えたのです。
「映画の見方の主流が配信に切り替わる中でのディズニーの判断ですからね。米国の劇場関係者の間には大きな失望感が広がりました」と古沢さんは言います。
米国の興行関係者に久々笑顔が戻ったのは今年3月31日のハリウッド版「ゴジラVSコング」の公開でした。初日に960万ドルとコロナ禍以来最高の記録となったのです。
「ゴジラ」の母国日本では、この作品の5月公開を予定していましたが、緊急事態宣言を受けて延期されました。一方で、アンソニー・ホプキンス(83)がアカデミー主演男優賞となった「ファーザー」のように公開日を変えなかった作品は宣言下の東京や大阪を除き、地方都市での異例の先行公開となったのです。
日本の4月末から5月は例年話題作が集中します。ゴールデンウイーク(GW)は70年前に映画界の宣伝用語として誕生した言葉なのです。
邦画でも、長野冬季五輪の秘話を描いた「ヒノマルソウル」の公開が予定されていました。GW中のバラエティー番組に主演の田中圭(36)がひんぱんに登場したのは、公開に合わせた映画会社の「仕込み」です。公開が1カ月延期されたことで、心ならずもやや前倒し気味の宣伝となりました。
GWの話題作はアニメ作品に限っても「クレヨンしんちゃん」と「機動戦士ガンダム」の新作、ジブリの「アーヤと魔女」と軒並み公開延期となっています。GW後の6月にも、今年は注目の「るろうに剣心 最終章 The Beginning」が控えています。夏休みシーズンには例年通り勝負作が並ぶので、この夏は前例のないラッシュ状態が予想されます。
撮影現場の努力で、米中に比べて製作本数が減らなかった日本ならではの過密状態といえます。上映する側にも同様のジレンマがあります。全国の映画館や劇場で構成する全興連の事務局は「現在まで映画館でクラスターを発生すること無く営業することが出来た自負があります。感染予防対策はさらに徹底しているので、1日でも早く、休業要請が解かれることを祈るばかりです」と話します。
人流抑制のためとはいえ、一部演劇の再開や通勤の人流を目の当たりにして、映画館スタッフが不公平感を抱くのも無理はありません。
昨年は宣言解除のタイミングで「鬼滅の刃-」が公開され歴代記録を塗り替える大ヒットとなりました。が、全国シネコン(複合型映画館)の多くのスクリーンを埋める独り勝ち状態は、他作品の上映機会を奪うことにもなりました。
今年も一部作品への偏りが予想されます。従来は、最低でも2週間から1カ月あった上映期間が、作品によっては短くなる可能性もあります。かつての「ニュー・シネマ・パラダイス」(88年)や「アメリ」(01年)、近年の「カメラを止めるな!」(17年)のような、口コミで広がった「見れば面白い作品」がスルーされてしまうかもしれません。そんな映画興行の「夢物語」を奪ってしまうのもコロナ禍の罪悪の1つだと思います。
◆相原斎(あいはら・ひとし) 1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒沢明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。昨年から在宅勤務によるリモート試写が増えた。巻き戻しが可能になったことで複雑なシーンの解析やセリフの確認がしやすくなった半面、音響の良しあしがわかりにくい。映像に限らず、映画館の音響の素晴らしさを改めて実感している。
■開戦年の製作500本以上が終戦年は26本に
コロナ禍の影響は「戦後前例のないもの」と言われます。では、太平洋戦争の影響はどれほどのものだったのでしょうか。
内田吐夢、島津保次郎、溝口健二、黒沢明ら後に名を残す名匠たちが活動を始めたのは1930年代です。対英米宣戦布告が行われたのは、彼らに脂が乗って来た1941年(昭16)です。この年の製作本数は500本を超え、米国に次ぐ世界2位の映画産出国となっていたのです。
その後、戦況は年々厳しくなり、統制と国民国土の疲弊によって終戦の45年には年間26本と95%減となりました。確かに甚大な影響です。
では、約1世紀前、新型コロナと同じようにスペイン風邪が流行した時はどうだったのでしょうか。まだ活動写真と呼ばれていた時代で、公開本数も限られていました。影響を測る指標もないのですが、「第1波」に見舞われた19年(大8)2月6日の河北新報には「20歳から30歳くらいに死者が多かったが、この年代の者が外出がちで、演劇場や映画館といった多数の者が集まる場所に出入りするからだろう」と書かれています。
動きが活発な若者に対する警戒感は現代と驚くほど似ています。現在のような感染対策がなされていなかった劇場は確かに感染しやすい環境だったのかもしれません。