東京・浅草の伝法院通りに商店街を構える32店舗に対して、道路上での営業行為になるため、台東区が立ち退き請求していた問題で、同商店街「伝法院通り商栄会」西林宏章会長(59)ら役員ら7人が30日、台東区に商店街存続に賛成する署名1万1595筆を提出した。

同地では戦後のバラック営業から77年が経過している。存続署名は今年4月9日からスタートして8月29日までに集まった。西林会長は「商栄会は浅草の街並みとして観光客や地元のみなさまにかわいがられてきた。コロナ禍で外出が思うようにできない状況下、この短期間でこれだけ営業存続に対する賛同のお気持ちをいただいた。軽々と考えてはほしくない」と訴えた。

署名を受け取った区道路管理課では「現在、商栄会のある場所は本来的には道路なので、原状回復して道路に戻していただきたい」と話し「あの場所に固定された店舗があることで、その下にあるさまざまな配管は現状どうなっているのか確認できない。区としては道路に戻して区民の生活環境の管理をしていかなければならない」と主張した。

さらに道路管理課では「土地を所有している他の店主さんからは、なぜ道路上の違法営業を放っておくのか、という声も多数いただいている。どこかで折り合いをつけなければいけない」と話すが「双方、弁護士を立てての話し合いなのでなかなか進展しない」と着地点の見えない泥沼状態であることにも頭を悩ませているという。

商栄会では戦後から同地で仮設店舗を組み立てて営業していたが、1975年から4期16年区長だった内山榮一氏(故人)が77年に区庁舎が浅草から上野に移転する際、道路上での営業であることを知りながら「建設費を出せるなら店舗を構えることを許可する」という主旨を商栄会側に伝え、現在の32店舗がシャッター付きの固定店舗を組み立てた。

商栄会側から内山氏に土地使用料金の支払いを申し入れたが、内山氏から「そんなもんはいらない」と却下されたという。この際の念書は存在していない。

内山氏は2012年4月に100歳で他界している。この立ち退き問題が区側から商栄会に持ちかけられた最初は内山氏の死後2年の14年6月で「浅草寺から2、3年後をめどに浅草寺及び伝法院を庭園化するので店舗を撤去したいとの申し入れがある」という投げかけだった。

浅草寺では現在、伝法院の庭園整備工事をしているが同寺土地部では「伝法院横の商店街について立ち退くことを示唆したことはない。一体誰が区側に言ったのか、記録が残っているのであれば示してほしい」と困惑している。【寺沢卓】

◆伝法院通りの商店街立ち退き問題の経緯 1977年(昭52)、台東区役所が浅草(現浅草公会堂)から上野に移転する際、当時の区長だった内山榮一氏が、戦後から道路上でバラック営業であることを知りながら「建設費を出せるなら店舗を構えることを許可する」という趣旨を商栄会側に伝え、現在の32店舗がシャッター付きの固定店舗を組み立てた。商栄会側から内山氏に土地使用料金の支払いを申し入れたが、内山氏から「そんなもんはいらない」と却下されたという。この際の念書は存在していない。2012年に内山氏が100歳で他界。その2年後、区側から立ち退き問題が提示された。