立憲民主党から東京18区に立候補した菅直人氏(75)が、総理大臣時代に防衛大臣政務官を務めた、かつての弟子の自民党・長島昭久氏(59)を7000票弱の差で振り切り、当選した。

菅氏は、長島氏が東京21区から転出し“国替え”して挑んできた選挙を振り返り「やはり今回の選挙は、いろいろな意味での総力戦を戦わせてもらった。皆さんが全て。今回の厳しい選挙を、ギリギリでも勝ち抜く最後の大きな力になった。そう感じております」と支援者に感謝した。その上で「この力を、私としても、これから私自身の政治活動に大事にしますし、今後、いろいろなことを考える時は、多くの仲間が一緒に活動してきたことを前提に、次の世代にやってもらわなきゃいけない」などと次世代につなげていく考えも示した。

菅氏は街頭演説で、原発ゼロと再生エネルギー100%を必ず実現すると訴えてきた。東日本大震災と福島第1原発事故から10年を前にした今年2月に出版した著書「原発事故10年目の真実 始動した再エネ水素社会」(幻冬舎)では、首相に就任した当時は日本の原発の安全性を信じ、自民党政権同様、海外に原発のセールスを行っていたものの、3・11後に原発をやめるべきだと考えを180度転換したとつづった。また再生エネルギー100%実現に向けた具体的な施策として、農地や牧場にソーラーパネルを設置し、農業と太陽光発電を行う、営農型太陽光発電を紹介している。

当選後のあいさつでも「この当選で、やりたいことは、あの原発事故に携わった経験から再生可能エネルギー100%、原発、化石燃料0は十分、可能。その実現…総理の時にやり残した使命」と語った。また「女性の政治参加含め、活躍していただけるよう、お手伝い、アドバイスをしっかりやっていきたい。少なくとも。体が動く場合は…次の選挙なんて言うと怒られるけど」と苦笑した。

一方、伸子夫人(76)は「頭が動かないと!」と、きついジョークを飛ばした。その上で「17回の選挙で1番、人が集まり、やるべきことを全うした。これで落ちたら、菅直人のせいと思った。最悪の事態を考えておりました。(敗戦した場合、理由を)聞かれたら『寄る年波には勝てない』と言おうと思った」と笑いつつ、支援者に感謝した。そして「最後に、こんなスリリングな選挙…人生にとって楽しかったです」と満面の笑みを浮かべた。