先が見えないコロナ禍の2021年(令3)、俳優田中邦衛さん(享年88)は3月24日に老衰で、この世を去った。12年に親友だった地井武男さんの「お別れの会」に出席後は、公の場に姿を見せることはなかった。邦衛さんの代表作となったフジテレビ系ドラマシリーズ「北の国から」(81~02年)の脚本家倉本聰さん(86)を、冬の北海道・富良野に訪ねて、その思いを聞いた。【取材・構成=小谷野俊哉】

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妻と別れて2人の子供、純と蛍を連れて電気も水道も通らない故郷の北海道・富良野へ帰る男-。倉本さんは、「北の国から」の主人公・黒板五郎に、邦衛さんを選んだ。

「6人ばかり候補がいたんです。高倉健さんも、そうだったし。それから中村雅俊、藤竜也、西田敏行もいましたね。その中に邦さんが入ってた。この中で一番情けないのは誰だろうっていう話になったら、間違いなく邦さんだと。それで邦さんになっちゃった。この主人公には僕を半分、仮託しようと思ってたから。子供2人を故郷に連れて帰って、まいることや弱気になっちゃうこともあるだろうし、女をこさえちゃうこともあるだろう。そういう情けないことがしばしば、この男には起こるに違いないと。その時にやっぱり健さんみたいにかっこのいい人だと、ちょっと面白くない。子供が父親を尊敬しつつも、嫌だなこいつと。おやじ、情けないなっていう風に思える人間というのが、ちょっと欲しくてね。それで邦さんになったんですね」

「若大将」シリーズの敵役・青大将、「網走番外地」シリーズの高倉健の舎弟、「仁義なき戦い」のヤクザ。個性的なバイプレーヤーとして確固たる地位を築いていた邦衛さんにとって、大きな挑戦となった。

「会って『青大将は全部やめてくれ』と言いました。邦さんの芝居ってオーバーでしょ、割と。だから、ああいう役はもう捨ててほしいんだ、と、もう昔の田中邦衛じゃなくて。こういうリアルに寒い土地で、もっと情けないんだ、と。そういう役にしてくれって僕は頼んだんですね。そしたら『俺から青大将取ったら何もねえじゃねえか』って言われた。しょうがない、そういう役なんだからって。最初はちょっと不満げでしたよね。不満げというか、不安だったんでしょうね。その頃、遊びに行った時に『男は真面目にやればやるほど、どこかで矛盾が生じてくるものです』っていう色紙を書いて渡したんです。俺に合うってほれちゃって、邦さんの家に行った時に、床の間に飾ってありました」

「北の国から」で邦衛さんは、新境地を開拓した。

「すごく乗ってました。青大将を見事に捨てたし。役者としてのやり方が変わった。周りに登場したいい役者が、いっぱいいましたから。(妻役の)いしだあゆみの影響はすごく受けました。大竹しのぶも出たし。何よりも、大滝(秀治)さんですね。そういう本格派の俳優と接することで、随分変わりましたね。ものすごく成長したと思います。いわゆる三枚目っていうか、もう少し軽い役者だったのが、重い重量感のある役者になりました。人間ってのはみんな、真剣にやってて、アップで見るとものすごく悲劇だと。それをロングで引いてみると、すごい喜劇になっちゃうんだ。そういう意味で邦さんの役っていうのを、本人はものすごく大真面目なんだけど、ロングで見るとものすごくおかしい。そういう喜劇を邦さんでつくりたかったんです。だから、邦さんにオーバーな芝居しないでくれって。あなたは真面目にしててくれればいいんだっていうことですよね。それは、傍(はた)から見て、ロングから見てるとおかしくなるから」

必死に生きているのにコミカルで悲しい。素顔の邦衛さんは個性的だった。

「シャイな方ですよ。独特の照れがあるんだけど、自分の中に、非常にへんてこな美学がある。1つの例で言うと(裾の細い)マンボズボン。なんかの授賞式でね、タキシードを着て行かなくちゃいけないことがあったんです。そうしたら、そういうタキシードを作って着て来ましたからね。下がマンボズボンで、靴下との間がちょっと空いてんですよ。もう笑っちゃったけどね」

おかしいまでの美学を貫く邦衛さんに、倉本さんは信頼を寄せた。そして「北の国から」の主人公・黒板五郎を21年にわたり託した。

「人間としてすごく信用の置ける人。本当に正しい人。優しい人だし、すごい家庭的で、めちゃくちゃ真面目な人。家族思いでね。『北の国』で賞を取った時に、お祝いをしてあげようっていうんで、富良野のホテルでパーティーをやったんです。その時に奥さんと娘さんを、こっそり呼んどいたんですよ。パーティーの時にいきなりサプライズで出したら、邦さん、照れちゃって、照れたのとうれしかったのとで、もう、こんなんなっちゃったよ。もうすごくいい心でした」

シリーズ最終作となった02年の「北の国から 2002遺言」で、黒板五郎は遺言を書き残す。倉本さんは今年10月9日、シリーズ第1作の初回放送から40年目にスペシャルを企画していたが、実現しなかった。

「邦さんとは、お互いがどっちかが死ぬまでやろうなっていう約束をしてたんです。邦さんも、僕もライフワークにしようと思ってた。だけど02年に突然、終わりと言われた。落ち込みましたよ。でも、その後も、今の黒板家はどうなっているかというプロットを、折に触れて書いて発表してきた。今年は、黒板五郎は実際にどういう死に方をしたかということを書きたかったんです。邦さんは死んでるから、過去の映像を使って計画したんだけどフジテレビに使わさせないって言われちゃった。純役の吉岡秀隆に富良野まで来てもらって話し合って、脚本も第7稿まで書いたんですけどね。今年40周年だったから『さらば黒板五郎』を作りたかったんだけどね」

亡くなる前10年ほど、邦衛さんは公の場に出ることはなかった。黒板五郎の死を描くことはできなかったが、邦衛さんの演じたその姿は今も、見た人の心に残っている。

◆倉本聰(くらもと・そう)1935年(昭10)1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、59年ニッポン放送入社。63年退社後、脚本家として活動。74年NHK大河「勝海舟」。75、76年日テレ「前略おふくろ様」。77年TBS「あにき」。81年映画「駅 STATION」。81~02年フジテレビ「北の国から」シリーズ。08年フジ「風のガーデン」。17年テレ朝「やすらぎの郷」。77年北海道富良野市移住。84~10年は富良野塾で脚本家、俳優を養成した。76年ゴールデンアロー賞、芸術選奨文部大臣賞。00年紫綬褒章。02年向田邦子賞。10年旭日小綬章。